「ふるさと納税」という頭の体操


 「骨太の方針」に盛り込まれる地方分権改革案に「ふるさと納税」が明記されるという。
 なるほど,「地方には、『地方で生まれ、教育を受けた人が、納税する年齢になると、都市部に移り住む』という不満が充満している」のだそうで,こうした声に応えるために考えだされたものらしい。
 まぁ,確かにそうした声をテレビの討論番組やその類いのテレビショウ,もしくは新聞の投稿記事で見聞きした気もする。ただ,メンタリティーとしてはわかるもののまともに相対するようなものではなく,苦笑いしながら自主・自律的に地方で税収を上げるような生業づくりに取組まないといけないですよね,とやんわりとはぐらかすのが正しい対応のように思っていたので,今回は「本気なんだぁ」と感心している。


 すでに,あちこちで「ふるさと」の定義のあいまいさや地方税の応益課税・受益者負担の原則をまげることになりかねないこと,そもそも財源調整機能としての地方交付税を無視するような地方対地方の負担の受け渡しで,国税は関係無しってありか?とも思う(これについては,現状,現住地以外の自治体への寄付金を,所得税・住民税の課税所得から控除できるようなのだが,所得税から税額控除するという案もあるようなので,どうなるのか注目せねばなるまい)。

 こうした正面きって考えるのも大事であるが,次のような声に耳を傾けてみよう。

要するに、都会の人が地方に納税した場合には、その地方の選挙権をいただきたい、ということだ。たとえば税金の10%をふるさと納税に回したとすれば、その地方に0.1票を投じる権利を与える、みたいな。当然、その分だけ自分の選挙区の票は減らしてもらってかまわない。「ふるさと納税」と併せて「ふるさと投票」も、というわけだ。


暴論:「ふるさと投票」も作ったらどうだ


という納税するからには,当然発生する権利についての指摘(こうなると「ふるさと納税」とは,あらかじめ売っておいた恩を回収してやるという恩着せがましいものに見える)もある。また,

 「ふるさと納税」の理論的骨子は、生活者の一生を「教育期間」と「就労期間」にわけている点です。

 つまり「教育期間」において、人間形成、技能修得の大切な時期を過ごしたふるさとに個人に対する人材育成のコストがかかっていた分は、「就労期間」を過ごしている都市部からでも「恩返し」しようという着想です。

 この点は気持ちとしてはよく理解できますが、しかしながら、生活者の一生を「教育期間」と「就労期間」だけに二分している議論自体が実は破綻しています。

 この前代未聞の少子高齢化社会を迎えつつある日本において長期に渡るであろう「老人養護期間」を加えなければ、正しい議論はできないのであります。

 つまり、生活者の一生を、納税しないで行政サービスを受ける「教育期間」と、しっかりと納税義務を果たす「就労期間」と、そしてまた納税しないで行政サービスを受ける「老人養護期間」に、しっかり3つに分けなければなりません。

 そして「ふるさと納税」は、人生前半の納税しないで行政サービスを受ける「教育期間」に対する「就労期間」における恩返しとしてはビジョンがありますが、これからのまた納税しないでおそらく長期に渡り行政サービスを受けるであろう「老人養護期間」に対する「就労期間」における恩返し納税に相当する「担保」が示されていないのです。

 これは重要な不公平です。


「ふるさと納税」:「ふるさと」記入欄とともに「死に場所」記入欄も必要でしょう

との指摘もあり,ある種の「やさしい」思いとしての「ふるさと納税」は整理すべき課題が多いことに気づかされるし,こうしたことに頭を使いいろいろと考えをめぐらすのも現時点ではいい機会だと思う。
 金を出すけど,口も出す住民以外のオーナーの登場は,地方自治の現場をさらに複雑なものにするだろう。地域経営を地域の自主自立により行うことができないのであれば,それはもはや自治領や自治植民地の類いのようにも感じるのだ。
 まったく,頭の体操である。