それでも,キレていいことなど何も無い


 他人から,自分はこうやってキレた,と笑い話を聞かされ,その場では「ありえねー」などと同調して笑ったところで,後からイヤなものがずっとへばりついていることに気付かされる。なんじゃ,この感じは。自分もそのシチュエーションに立って,一緒にキレたからだ。キレへの参加と同調だ。こうした他人から塗り付けられたようなキレや自分自身が産み出したキレも同じく,キレてしまって,結果,いいことなど無い。高ぶらず荒れること無く押さえ込んだ方がよほどイイ。


 キレることの害といってすぐに思いつくのが,空気を汚すことだ。空気を澱ませる。でも,押しとどめないことには,目の前の理不尽さやデタラメさを放置させてしまう。こんなことはいけない。間違っている。誰もいかないのであれば,自分が行くしかない,だからこそ,イケーーーっ!!ブチッ!!つまり,真剣に怒っている。真っ当に抗議しているのであって…云々。そう,これは言い訳だ。キレるなどということは人間の小ささの表現だ。私はこれだけのちっぽけな嫌らしい人間であると。恥ずかしいんですよー,と。


 怒ってみせることがイイなどというのは,奢りや傲慢,つまり,根拠の無い自分自身への勘違いに過ぎない。真剣であってもいい,だが,ゆとりやユーモアを失ってイイということではない。戦略や戦術もなく,冷静さをなくしゃうんですよー,私は,と顔に書いて歩いていることになる。


 キレることの一瞬の快感に自分を委ねてはいけない。失うものはでかいし,残る傷も深い。

「キレる」の本当の意味としては、「気持ちの上で我慢できなくなり、普段と違う乱暴な行動や言葉遣いをすること」が69%、「突然、びっくりするほどの大声を上げたり暴れたりすること」が12.2%、「日頃おとなしい人が突然凶暴な行動に出ること」が15.6%と、問題行動に関連づける回答が多くなっている。


平成15年版 厚生労働白書