一日という時間の単位が有効ではない時代には,あえて「一日を終らせる」必要がある。

 フォーサイト誌1月号「シリコンバレーからの手紙」(136)に書いた「情報量が仕事量を規定 そんな時代の生存術とは」が、ネット上にアップされました。


情報量が仕事量を規定 そんな時代の生存術とは - My Life Between Silicon Valley and Japan


と,紹介されていたのでリンク先に飛んでみる。

十年前に比べて私たちは遥かに長い時間働くようになった。見ないですますことなどできない「自分を取り巻く情報量」が増え、その処理に追われるうちに、どんどん時間が過ぎていってしまうからだ。


情報量が仕事量を規定 そんな時代の生存術とは - シリコンバレーからの手紙136


その結果,

 私の自衛策が一般的とは思えないが、情報量が爆発する新しい時代に何か働き方を工夫しなければ倒れるぞ、ベストな策ではなくとも倒れるよりはましだろう、という苦渋の判断の末の自衛策なのである。


情報量が仕事量を規定 そんな時代の生存術とは - シリコンバレーからの手紙136


と主にネットを活用しての自衛を説いている。
 以前にも,「お片づけを導入しようか,と思う」と書いたエントリーでも紹介したお片づけ本の一冊の中に同様の指摘があった。

 日常のペースがどんどん加速化する現代にあって,わたしたちが失ったものの一つに“終止符”がある。だれも働き終わることがないのだ。わたしたちが仕事を終えるのは時間切れになるからにすぎない。わたしたちはやり残した仕事や見なおさなかった情報,整理しなかった書類の山をいつも翌日に残している。そして仕事をしていなくても,わたしたちの脳はいまやったことや次に何をするかを考えつづけている。
 わたしたちには「よし終わった!」という終止符,エンディングが必要だ。それはあなたが「一日を終える」目的であり,あなたへのご褒美でもある。


p.200 気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ リズ・ダベンポート (著), 平石 律子 (翻訳)


ここで,著者・リズは,「一日を終える」ために,チェックリストの全てに何らかのマークをつけろ,と言う。それは完了であったり,予定の組直しであったり,削除だったり,と。
 いま,瞬く間に生成されてゆくチャックリストに健康を維持し立ち向かうには,あえて「一日を終らせる」必要があるだろう。ずるずると一日が継続しがちなため,一日を「はい,今日はココまで」と自らで宣言しなくては,誰も止めてはくれないし,まして,「一日」という時間の単位がどこまで有効性を持っているのかさえ,怪しい今なのだから。



気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ

気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ