【書評】「主語を抹殺した男 評伝三上章」 金谷武洋


 えふ先生からの勧めを受け図書館から借り出した。以前に書名を見た記憶はあったが,重いタイトルがひっかかり手に取る機会がなかった。早合点な印象で食わず嫌いをしてはいけない。

本書も当初は「街の語学者は背で笑う」というタイトルにしようかと思ったほどだ。


p.151 「主語を抹殺した男 評伝三上章」 金谷武洋


うん。手に取る人が多くなることを考えると,ずっと「街の語学者は背で笑う」の方がいいが,三上自身が「変えることのなかった主張」−主語廃止論を果敢に唱えた男の評伝として,あえて著者はこのタイトルで伝えたいのだ。
 三上のような在野の研究者が大勢いる。それが日本の学術の世界を豊穣なものにしている。しかし,それには報酬や賞賛はなくとも,評価が伴っていなくてはならない。三上の残した成果や業績はこれから,ますますその意義深さを増していくだろうが,生前に「シカト」されたまま,本人にフィードバックされるべきやりがいが損なわれるほどに。
 次の2点に,印象が残った。


英語がSVO構文を多用するのは,話者の視点が神様のように上空にあり,地上の出来事を見下ろすからだと私は思う。これに対して日本語では話者は地上に身を置いて空を見上げているのだ。


p.54 「主語を抹殺した男 評伝三上章」 金谷武洋

 ギリシャ語やラテン語など,西洋の古典語を学べば学ぶほど「主語」という文法カテゴリーは存在感を失う。主語という文法概念には普遍性はなく,時代が下がってから英語など一部の印欧語に発生した例外的な現象ではないかという印象を,以前から抱いていたのである。


p.59〜60 「主語を抹殺した男 評伝三上章」 金谷武洋


 「主語」をことさらに主張するという一部の「方言」的言語に振り回されていることを客観視し,世界中の言葉の仕組みが解析されているということだろうか。ぎこちない翻訳調の「日本語」に振り回されている理由の一つに光明を得た。言葉の世界の豊かさを語る言葉について考えるいいきっかけとなったし,偉才が決して報われるなくとも歩んだ道を知り勇気もわいた。
 アマゾンのレビューを,三上の教え子が書いている。インターネットがあるという現在にも感謝したい。


主語を抹殺した男/評伝三上章

主語を抹殺した男/評伝三上章