孤独だと嘆く女性がいます……頭が空っぽの人たちです


 いや,これ私じゃないですってば。サガンだ。

 孤独だと嘆く女性がいます……頭が空っぽの人たちです。わたしは孤独を学んで,それを評価しています。わたしにとって孤独というものは,不変で,伝達不可能で,わりに混乱していて,つまりほとんど生物的なまでの自我を意識することなのです。わたしが本当に孤独だと感じるのは,大勢の友だちに囲まれているときが多いのです。そういう孤独も好きです。時にはナイトクラブほど孤独な場所はないほどです。それから急に一人になって,独立して自立して暮らしたり,≪自分を取り戻す≫期間を取ったり,知らない人に会ったりしたくなることがあります。見物したり,散歩したり,旅行したり,ベルギーのつまらない小さな町に八日間過ごしたり,あるいはインドやチベットソ連に行ったりして,慣れっこになってしまったものから脱出してみたくなるのです。
 たまには孤独も必要なのです。でもスタンダールの言葉は忘れません。≪孤独は何事ももたらすが,性格の強さだけはもたらさない≫。それと,紅茶を飲んだりレコードを聞いたりして午後を一人で過ごすことと,本当の孤独とはちゃんと区別しています。


「愛と同じくらい孤独」 サガン

小気味よすぎだ。「不変で,伝達不可能で,わりに混乱していて,つまりほとんど生物的なまでの自我を意識すること」が,彼女にとっての孤独。「自分だな〜,あ〜,自分だよ,自分」てな感じか。
 日本での出版は,1976年とのこと。現在との距離感が何とも微妙だけども,社会が今よりもっとべったりとしていたのは,フランスも日本も変わりないのだろうけど。そんな「慣れっこになってしまったものから脱出」への希求が,どうしても≪自分を取り戻す≫ために必要となった初めての時なのだろう。疎外から孤独の内在,そこから自分を取り戻すための物理的な孤独(のための脱出)というのは,おそらく言い尽くされているのだろうけど,こうして回復していくしかないのだろうな。
 あえて位相をずらして自己を確認する,とでも言えばいいのか。


 それにしても,「ベルギーのつまらない小さな町」って。村上春樹もたまに,ぼそっと町や場所をひどく断定しちゃうことがあるけど。翻訳の調子もあるかな。


愛と同じくらい孤独 (新潮文庫 サ 2-15)

愛と同じくらい孤独 (新潮文庫 サ 2-15)