「考えて喋れ」は失語する。


 子どもの頃から,ムダにだらだらと,しかもたいして意味の無い内容で話し続けることを諌められたことのある方は多い思う。同様に,あ〜,こいつの話し,早くおわんねーかなー,メンドクセーなー,などと感じながら話しにつき合っていた経験のある方も多いように思う。
 これらへの解は,「考えて喋れ」である。話す内容の題材,要点,事実と主観,などを意識して的確に,コンパクトに要領よく話すことが求められるわけだ。あらかじめ,考えてから,あらかじめ,いったん整理してから。
 しかし,このことは果たして正しいのだろうか。
 恐らく,半分だけ正しい。相手を飽きさせ,不快にさせるまで延々と話すことが問題なのだ。たいして意味の無い会話であっても,饒舌な語りであっても,それが相手に理解と共感を与え,満足させるのであれば,何ら問題はない。「考えて喋れ」と言われた方は,これらの実現を目指し,整理し,まとめ,えーと,えーと,アウアウウウウウっ。あ〜,ここで話したかったのに。あ〜,話題が別になったぁ。よし,次こそ!自分はこのことについて,だから,こう思って,えーと,えーと,アウアウ。会話に乗れず,結局のところ,言葉を失い,静かな不毛がやってくる。
 では,どうしたらよいのか。
 英語を中学生になって初めて習うとき,会話文が出てくる。「ハロー,ミスター・ナントカ」「ハイ,ミス・ホニャララ ハワユー?」「アイムファイン サンキュー アンデュー?」「アイム ファイン,トゥー」。これだ。アメリカに行ったとき,いや,もっと英語実習助手としてネイティブスピーカーが各教室を訪問して来たとき,本当に驚いたのが,彼らがこのとおり,話していることだった。「おいおい,こんな型通り,やってるよこいつら」と。そう,「型通り」。「考えて喋る」よりも,相手と共通に会話をやり取りするプロトコルとして「型通り」の会話のパターンを数多くし込み,それを次々と展開する。そうした日本語会話文を暗記し,実際の会話とすることが解決の道だろう。
 そんなのあるか?なにがいいのだろう。落語や浄瑠璃をシャワーのように浴びてみることが思い浮かぶのではあるが。黙ってないで実践してみようか。