遅くなったけど,NHK「ETV特集 1月4日(日) 吉本隆明 語る 〜沈黙から芸術まで〜」を見たよ。


 録画してあったのを見た。相変わらず,気ぜわしかったのもあったし,正月休み明けに向けて気を溜めておきたいのもあったから,ずるずると視聴が遅くなった。

2008年夏、「これまでの仕事をひとつにつなぐ話をしてみたい」と親交のあるコピーライター糸井重里氏に協力を依頼し講演会を開いた。

「僕の本なんか読んでいない人に、どうやったら分かってもらえるかが勝負です。」


ETV特集 1月4日(日) 吉本隆明 語る 〜沈黙から芸術まで〜


 会場にいると,吉本本人の表情を大写しするスクリーンにずいぶんと話題について解説するスライドが映し出されていた。たしかにこれで聴衆への知識の補足なったわけで「分かってもらえる」ことへの仕立てにはなったのだろうからイベントとして,これでアリなんだろうけど「分かってもらえる」ことそのものに話者としての手応えはいかがなものだったのだろうか。こうしたビジュアルの飛び道具は,イベントをカッコよく見せるけど,はてさて。
 さて,私は仕事がら高齢者と接する機会がとても多い。毎日,会うといっていい。

そして終盤の吉本は、恍惚としていた。最後にぼそっと、言語というものに格闘してこれが私の人生だったんですよ、という感じだった。意識がすでに死に包含されているようすは、率直にいえば醜悪でもあり、これがなるほど人の意識の最後の姿なのかと思った。

 出だしは83才にはしてはしゃんとしているなと思ったし、おそらく30分程度の話なら、吉本はまだまだ世界を思惟しうるのだろうと思った。ただ、あの講演はそういうものではなかったのだろう。多くの人に理解されたいという部分は、これも率直に言えば失敗したし、


2009-01-05 快晴 - finalventの日記


最近,年寄りが棺桶に片足を突っ込んだ様子がわかるようになった。単純に年齢ではない。90を過ぎても意識がまだこっち側にあるという人はいるし,70前半で向こうにいるな,という方もいる。会話にふっと入ってくる「間」と視線の奥がポイントなのだけど。ただ,これは対面していてわかるというものだけど,テレビのアップはその辺を残酷に映し出してしまうものだ。本当はその棺桶を相手に意識させないで話すじいさんの話しを横で聞いているのが,私は好きだ。うんうんと言いながら聞くわけだ。悪くないよ。
 finalvent先生が指摘する部分に加えて私が気になったのは,小さな咳だ。糸井が駆け出してしまうのも無理は無いな。

たぶん糸井の意図だろうと思うが、足元もおぼつかない吉本がおそらく寝所に下がるとき代わりに出てくる猫が愛らしく、そこにはなんというのか、古今物語の風景のようにも思えた。


2009-01-05 快晴 - finalventの日記


無表情の猫がカメラと正対してやってくる。スライドショーといい,このニャンコといい,「ズルイな,もう」である。企画・演出の妙が効いている。
 ところで,この番組の中で若いころの吉本の講演時の写真と音声が流れた。「あっ!やべ!」と声を上げた。「吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜吉本隆明, 糸井重里」を注文しなくちゃ,まだ,在庫はあるだろうか,と慌てた。澱みなく,声がとおり,咳もしない(当たり前だ)若いころの吉本の声がテレビから聞こえた。聞かなくちゃ,聞いておかなくちゃ,と慌てた。番組を見終わった後,さっそく,アマゾンで注文した。何だったんだろう。「耳からわかる」と,ストンと落ちる感覚があった。
 話しをこの番組に戻す。番組として成立している,とは思った。ダイジェストになっているため放送されなかった部分が気になるのだけど,概ね,2008年1月初版で東京工業大学での講義をまとめた「日本語のゆくえ」と重なる印象を持った。この本に,同じく講演をまとめた「夏目漱石を読む」の一部を併せたように感じた。
 ただ,こうして番組を見た後では,ずいぶんと「日本語のゆくえ」という本がスッキリと読むことができた。いまは,「吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜吉本隆明, 糸井重里」が届くのが楽しみだ。

 それに何の意味がある?
 あると思う。たぶん、それは、歴史の反面がゆさぶる時代の狂気を癒す。


極東ブログ:吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉本隆明,・糸井重里)


私は,そこに古典へ向き合うことについて知ることができたら,と思う。


日本語のゆくえ

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夏目漱石を読む

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吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜 (Hobonichi books)

吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜 (Hobonichi books)