今日の「なるほどなぁ」,水のようであること


 新聞の「人生相談」に,つい目がいく人も多いことだろう。実は私もその一人。何が面白いかって,回答者の目線や問題認識の視点。そして,読者を納得させるロジック。これらの技法を眺めているだけで楽しい。「そうくるかあ」と。

中国古代の哲学者・老子が勧める「水のような生き方」を紹介してみます。水は先を争うことなく、あるがままに流れて、人が好まない低い所にとどまり、万物を潤す。水は柔らかく、突っ張らず、実に弱々しいけれど、硬い岩をゆっくり砕き、長い間に大きな役割を目立たずに果たす。

 私もこういう生き方にあこがれているのですが、考えてみると、あなたもあえて強く「ガツンと言える」人に変身する必要がどこにありましょう。ガツンとあちこちで言えば、結局は自分が傷つくんです。小さな自分を声高に主張したって、いくらのものでもありません。対して、控えめで無心で水のようであれば傷つくことも少ない。

 つまり「弱さを貫く」ことこそ、本当の価値ある生き方につながるのではないでしょうか。

 (野村 総一郎・精神科医
(2009年9月13日 読売新聞)


侮られ続ける自分 憎い : 心身 : 人生案内 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


「柔らかく、突っ張らず」「控えめで無心で」「弱さを貫く」。なぜなら,「ガツンとあちこちで言えば、結局は自分が傷つ」き,「小さな自分を声高に主張したって、いくらのものでも」ない,から。

 相手を全て受容する必要はない。時には諌めなければならない場合だってあるだろうし,立場上,苦言を呈すること自体が難しいことだって多いだろう。ならば,相手に「そのように思うんですね」と,相手の主張の正否を問わず,その主張が存在することを理解してあげてしまえば,よいのだろう。
 では,相手がその主張を強要してきたり,押し付けてくる場合はどうなのだろう。それは,水がスルリと滑り落ちるように,その相手から逃げたり,かわしたりするのが,よいだろう。くやしいなあと思っても逃げる。逃げるが勝ちなのだ。争ってはいけない。
 最後に,「ダメなときはダメ」を受け入れるということだ。慌てても,策を弄しても,どうしようもない,というときがあるのだ,ということだ。連戦連勝ではない。いつかは負ける。そうであるならば,負ける「弱さ」とともに自分を置く「とき」があるのだ。