いま,取り戻すべきは,バカバカしいほどのこだわりをカタチにできるエンジニアの気概


 IT関連というだけが共通するものの舞台も対象も全く違う話を読んだ。

ソニーが新しいAndroid 携帯を発表して、開発した中の人が、インタビューに答えていた。
「特徴を教えて下さい」という質問に対して、開発者は「デザインにあると思います」と答えていて、これは何か違うような気がした。


自慢話が聞きたい
新しい携帯電話はきれいなデザインで、薄く作られていて、全体が弓のように反っていて、デザインはたしかに特徴的なのだけれど、 「デザインにあると思います」という答えかたは、エンジニアの言葉ではないような気がした。


発表を行ったその時には、まずはユーザーに向かって「こう使ってほしい」という言葉が聞きたかった。 それは「注文」であって「特徴」ではないけれど、特徴というものは、目的だとか、ユーザーへの注文抜きの、単独で語られてしまうと、 どこか他人行儀に聞こえてしまう。エンジニアは、これから発売される製品にとっての「一番近い身内」であって、 製品が生まれたばかりのこういう場面だからこそ、やっぱり身内の言葉が聞きたい。


作った人の顔を見てみたい - レジデント初期研修用資料


 オートバイをつくる技術者がいるとしよう。まあ,メカだよね。外に見えるエンジンのちょっとした見栄え,タンクでも泥よけでもよいのだけど,そうした部分の一部ででも,俺はこうしたんだぞ!となかば照れながら自慢をできるのは,エンジニアだけの特権だろう。
 これはソフトウェア技術者でも同じだろう。

 かつてのシリコンバレーをリードしていたのは、物理学博士で集積回路の発明に携わり、インテル設立に参加したロバート・ノイスのような科学者やエンジニアだった。当時のシリコンバレーでは誰もが物理学や電子工学といったハードな科学に取り組み、モノづくりに励んでいた。だからこそ半導体シリコンバレーという名の由来だ)が生まれ、パソコンや各種のソフトウエアが生まれた。


古参インテルやアップルとの違い
 しかし、今のシリコンバレーはカジノだ。頭のいい若者たちがやって来て会社を立ち上げるのは、手っ取り早く大金を稼ぐため。たいていの会社は(無意味とは言わないまでも)まともなモノづくりとは無縁で、古参のヒューレット・パッカードインテル、アップルなどとは似ても似つかない。
(略)
 何か大切なものが失われてしまったのではないか。ベテラン技術者の間からは、そんな声が聞こえてくる。「昔のシリコンバレーでは、みんなが真に困難な問題の解決に挑み、自分の技術に賭けていた」と言うのは、マイクロソフトの最高技術責任者だったネーサン・ミアボルド。「(しかし今は)人まねと金儲けだけの人が多過ぎ、本当に大事な問題に取り組む人が足りない」


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プログラムを作動させたときの「どうよ!」と自慢したくなるような動きや,コード上の工夫など,エンジニアとしてこだわりは,ソフトウェア技術者だって,「ものづくり」の技術者だって変わらない。
 企画やマーケティングやデザインやマーチャンダイジングなどのビジネス上の化粧じゃない,僕らは,モノそのものに,アッと言わされたいんだ。そう,技術者のこだわりやわがままをカタチにしてもらいたい。