まだまだ読みかけの司馬遼「国盗り物語」より。
美濃八千騎といっても,かれらは,鎌倉以来ここで勢力を扶植してきた土岐家の一門,一族,姻戚,遠縁関係にあたる者ばかりで,いわばこの一国は一つの巨大な血族団体になっている。
その宗家が,守護職頼芸なのだ。
当時の日本人の宗家への気持ちは,信仰といっていいほどのもので,この信仰がわからなければ,頼芸がこんどあたらしく就いた「守護職」という地位のありがたさが読者にはわかりにくい。
守護職は,その後に天下にぞくぞくとむらがり出てくる出来星の成りあがり大名とはちがい,血族の「神」なのである。
そのころまでの日本民族は,氏族社会の連合体であった。とくに武士にあっては。
余談だが,日本史の治乱興亡を通じて,なぜ天皇家が生き残ってきたかといえば,この血族信仰のおかげである。
氏族の頂点に,天皇家があるのだ。土岐家は源氏で,その遠祖は八幡太郎義家にさかのぼり,さらにそのかみは清和天皇から出ている。源平藤橘すべて,その祖を天皇家におく。
当時,どの日本人も,むろん,土民までも,遠祖はその四姓いずれかであると称した。
(略)
それら,日本人のすべての氏の総長者が天皇なのである。
血族信仰の総本尊といっていい。だからその存在が神聖とされ,いかなる権力者も,革命児も,この存在を否定することができなかった。
日本人すべてが源平藤橘を名乗るなら,その宗家は当然のごとく敬われる。総本家なんだからね。仮に親近感を持たなかったとしても敬意を払うべき相手との認識はもってしまうだろう。血をこだわらずとも総本家という地位に対してのものだ。
ユーラシア大陸の歴史のように、王朝や民族の血統がジェノサイドで断絶させらるような過酷な事態がなく、一定の政治的な安定性を求める社会的な安定性が、結果的に天皇制を作ってしまった、ということ。ひと言でいえば「特に理由はない」となるだろう。
万世一系に特段の理由はない、というのは、これはこれで面白い視点であり、若干ほぉと思わずにもいられない。
(略)
もっとも、天皇家の血統が重視されていたとかいう陳腐な議論に固執しているわけではない。私の考えでは、天皇家というのは、近世以降は山城国の小領主にすぎない。家系が古いので古代についてお家の神話を持っているということだ。これは毛利家なんかも同じ。
finalvent先生が本を書評しエントリが書かれているわけだが,台頭した武士たちが,自らの出自を思うとき,(たまたま)手出しをしなかったこともあり,結果的に「特に理由はな」く,続いてしまった天皇家。いま,ルーツに興味を持ったとしても,当然,誰しも源平藤橘に行き当たるというファンタジーを信じる人も無いなか,さてはて,どうなりしや。