生きてしまうということ,考えようとすること ー finalvent先生の「考える生き方」を読んだよ。


 不思議な読書体験だった,と言っていい。
 「本の著者」というのは,有名だけど遠い世界の存在の人で,仮に,話しを聞くようなことがあっても,それは壇上の人であって,オスマシした「よそ向き」の顔をこちらに向けるだけの存在だ。つまり,本の中の人は,あくまで,本の中の人だ。
 ネットの中の住民であるfinalvent先生は,人としての多面性をネットの上でも惜しげも無く見せる。でも,見せびらかすようなことじゃない。つい,出ちゃうの連続なのだ。@finalventをフォローして,ツィートを眺めるといい。とんでもなく脳みそを使わなくちゃならないツィートや最新の世界の話題も出るけど,あきらかにオッサンのダジャレや2chまとめサイトを拾ってきたりする。ツィートばかりじゃない,この「はてな」でのid:finalvent の日記では,新聞の各社社説を取り上げてたのが定番だった一方で,料理の話題や小説を書かれていた。
 こんな人間としての多面性を日夜,披瀝されていた(こちらも,日夜,見ているわけだけど)finalvent先生が,本を出した。確かに符牒としての名前を知っているだけなのに,普段の顔を知っている近しい感じがする人が書いた本。なのに,とても新鮮な感じ。当然ながら,テレビに出てくるような何者かがわかってしまっているようなこともなく,不思議な感じなのだ。


 「考える生き方」のタイトルどおり,成功・希望・挫折・諦観などがキーワードだったりする。というと,ネットのエラい人の人生訓か,いや違う。じゃあ,愚痴やぼやきや妬みやスネミか,いや,もう全然違う。どうしようもなく,結果としては,生きてしまっちゃう我々が,生きる自分と折り合いをつけるために,結局のところ,考える。生きてしまう自分と考える自分。じゃあ,どう考える。ハウツー本じゃないから,こう考えりゃイイよ,は無い。そりゃ,ないよ。でも,finalvent先生は,自らの考えさせられちゃう場面や経験というものを本に出した。考えそのものは,ブログや日記やツィートにあるからね。


 この本の個別のテーマについて,私の経験(11年若いわけだけど)をもとに語ってみたいことは多々ある。孤独のこと,社会のこと,文化のこと,教育のこと,老化のこと,などなど。
 でも,これらは,個別に私が扱って書くときに,引用させてもらうことにする。その時が,ちょっと楽しみだったりする。


 最後に,一つ触れておきたいのは,finalvent先生が,日々,溜まってゆく本や新聞とどうつきあっているのか,ということだ。考えるために,必要な材料の本や新聞,それも膨大な量になるはずだ。それらを買い込み続け,値段は気にしてるの?,公立の図書館なんて使ってるの?
 本を引っ越しの度に捨ててきた,という話しは書かれていた。では,いま,本や新聞とどう相対しているのだろう?


 かつて,悩みや疑問は,寝て起きると自分自身がリセットされてすっきりしてしまったという経験を持つ人は多いだろう。だが,寝て起きても,問題は何一つ解決しない時代に,考えよう,考える自分を選択しよう,というこの本を薦めておきたい。


考える生き方

考える生き方