そこに精一杯さがあるか,ということ:角田光代 著「ツリーハウス」を読んだよ。


 その他大勢の物語だ。
 決して,決然と立ち向かうヒーローや謎を解く主人公が出てくるわけではない。むしろ,ちっぽけな見過ごされてしまう,そこいらの人たちの話しだ。
 ただね。決然と立ち向かうことだけが,選ぶべき生き方なのか。謎はすべて解かなくてはならないのか。ちっぽけな存在のままではいけないかのか。生きるすべての人々たちに,苦悩があり,逡巡するだけの平凡な毎日がある。

「あんた,自分がやった馬鹿はね,ぜんぶ自分に跳ね返ってくるんだよ」テーブルを拭きながら母が言う。「しかも何倍にもなって跳ね返ってくる。今さらもう遅いだろうけど,まともになんなよ」
「まともって何さ。かあさんたちはまともなわけ」思えば,母からこんな親らしい説教をされるのもはじめてである。はずかしいような,肚立たしいような気持ちだった。
「私たちはまともにできなかったから知ってるんだ。いやなことだの面倒なことだのから逃げたって,ちゃんとつかまるよ。帳尻が合うようにできてるんだ」


p.227 「ツリーハウス」 角田光代


バカバカしいだけの,ダメな選択をしてしまった結果について,「母親」が言う。人生におけるプラスとマイナスということを,だ。

「どこかにいけば,おもしろいことが待っていると思っているんだろ」と,祖母が突然基樹に言ったときのことを,良嗣は未だに覚えている。それまで,自分たちの進路や素行について祖父母が口を出すようなことはいっさいなかったからだ。
「ここじゃない,どこか遠くにいけば,すごいことが待っているように思うんだろ」基樹が返事をしないと,祖母はくり返した。
「そういうわけじゃないけど」
「でもね,どこにいったって,すごいことなんて待ってないんだ。その先に進んでも,すごいことはない。そうしてね,もう二度と同じところに帰ってこられない。出て行く前のところには戻れないんだ。そのことをようく覚えておきな」


p.420 「ツリーハウス」 角田光代


やがて,祖母になった「母親」が言う。何とはなしにしてしまった選択が,その後を規定してしまうことについて。そのことの重さについて。
でも,こんな「覚えておきな」なんて,記憶されないままなんだろうけどね。

「後悔はしないけど,悪かったと思うことはある」祖母は笑いを堪えるような声で,つけ足した。
「何」布団を縛る手を止めて,良嗣は祖母の丸い背中を見る。
「あの人も私もね,逃げて逃げて生き延びたろう。逃げるってことしか,時代に抗う方法を知らなかったんだよ。もちろんそんな頭はない。何か考えがあってのことじゃない。ただ馬鹿だから逃げたってだけだ。だけどさ,そんなだったから,子どもたちに,あんたの親たちにね,逃げること以外教えられなかった。あの子たちは逃げてばっかり。私たちは抗うために逃げた。生きるために逃げたんだ。でも今はそんな時代じゃない。逃げるってのはオイソレと受け入れることになった。それしかできないような大人になっちまった。だからあんたたちも,逃げることしかできない。それは申し訳ないと思うよ。それしか教えられること,なかったんだからね」
 そう言って祖母は笑った。
 好継は,祖母のその言葉に,横っ面を思い切りはられたような気がした。


p.456 「ツリーハウス」 角田光代


おいそれと逃げた。立ち向かうことに疑問を持ったからだ。時流に乗らない方法として,決してイイとは思えないものの逃げることを選択した。そのことを3世代分の重さを持って,孫の好継に語った。
 好継がどう選択するのか,ぜひ読んで確認してもらいたい。そんなクロニクルだ。


ツリーハウス

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