渋沢敬三の言葉 ー 人と社会を見る目


 今夏,終風先生こと,finalventさんが,こんなツィートをしていた。



網野さんとは,網野善彦
 ブルーフラッグとは,次のエントリーにある。

 死なれてみて、網野著作から一冊だけ選べというなら、対談集というのもなんなのかもしれないが、宮田登上野千鶴子を交えた「日本王権論」がいいと思う。こんなものがイチオシか言われると網野ファンとしては恥ずかしいのかもしれないが、この対談で網野はいまでもブルーフラッグを振るんだと言っていたのが、泣けるじゃないか。泣けよと思う。この爺にそう言われて泣かないやつに歴史がわかるかよと思う。


網野善彦の死: 極東ブログ


このエントリーで,網野善彦宮本常一の関係が指摘されたわけだが,終風先生こと,finalventさんは,こんなエントリーを残している。


今日の一冊 「忘れられた日本人」宮本常一 - finalventの日記


宮本常一については,ここで紹介された本はひと通り読んでおいた方がいいだろう。せっかくだから,


『忘れられた日本人』を読む (岩波セミナーブックス)

『忘れられた日本人』を読む (岩波セミナーブックス)


もオススメだよ,と言っておこう。
 以上がイントロなんだけど,「旅する巨人―宮本常一渋沢敬三」 佐野 眞一著から,いくつか渋沢敬三の言葉を紹介する。この「3代目」の言葉にビリビリきているのは,私だけじゃないと思うんで。

 敬三はよく宮本に,「人がすぐれた仕事をしているとケチをつける者も多いが,そいいうことはどんな場合でもつつしまなければならない」といった。この言葉には,明らかに,柳田が折口に対して燃やした見苦しい嫉妬心への冷静な批判が含まれていた。
 自分自身の不幸な生いたちや,柳田を中心とした複雑な人間関係が,敬三の人を見る目と,人に対する細心の気配りを極意というべき境地にまで高めたことは確かだった。敬三のこうした人格形成には,その一方で,金融人としての生き方にもかなり大きな影響を受けていた。
 バンカーの要諦はいうまでもなく,人を見,その人をどう評価するかである。まして,心ならずもバンカーにならざるを得なかった敬三の場合,銀行の煩雑な日常業務はまったくの関心外のことであり,いきおい関心は人を見ることのみに純化していった。
 敬三は銀行の仕事というものについて,次のように述べている。
<銀行屋というものは,小学校の先生みたいなものです。いい仕事をしてだんだん成長した姿をみて,うれしく思うというのが,本当の銀行屋だと思いますね。偉くなるのは生徒です。先生じゃない>


p.121〜122 「旅する巨人」佐野眞一

 あるとき宮本が「多くの人に接して,その人が本物であるか,見せかけだけの人であるかを見わけるにはどうしたらいいでしょう」とたずねたことがあった。
 敬三はしばらく考えてからこういった。
「いろいろあるね。まずその土地の上流に属する者なら,たいてい宴会場に案内してくれる。そのとき芸者がでる。その芸者が何となく近寄っていって心おきなく話していれば,それはたいていいい人だ。女が寄りつかなかったり,女にふざけたりしてる人は警戒すべきだ」


p.124 「旅する巨人」佐野眞一

 戸谷の話が終わるのを待って,敬三は静かにいった。
「君のそのひ弱な体で戦争に行って何ができると思う? 戦争は一時的なものであり,平和な日の方がはるかに長い。その平和の日を充実させていくことこそ,学者を志す者の本当の責任ではないだろうか」


p.131 「旅する巨人」佐野眞一

敬三は民俗学民族学,その他人類学,考古学など自分が交際している学者の一人一人についての人物評をし,どんな偉い学者に対しても偶像崇拝になってはいけないと教えた。
「財界でも学会でも中心に居てはいけない。いつも少し離れたところに居るべきだ。そうしないと渦の中に巻きこまれてしまう。そして自分を見失う」
宮本は敬三がこんこんと説く話に,学問の世界における人間関係がどんなに難しいものであるかを悟らされた。


p.141 「旅する巨人」佐野眞一

 宮本が旅に出て不在中の昭和十五年七月,のちに鹿児島大学社会学の教授となった大山彦一が,宮本に満州の建国大学入りをすすめた森信三の意を体する形で渋沢邸をおとずれた。
(略)
 宮本は旅に出て留守だったため,大山に応対したのは敬三本人だった。敬三は即座に大山の話を断った。旅から帰った宮本に,敬三は満州行きを勝手に断ったことをまず詫び,それからその理由を説明した。
「日支事変以後,日本はどんどん泥沼に足を突っこんでいっている。いまの日本には残念ながらことだが,その収集をつけることができる政治家も軍人もいない。おそらく近いうちに世界大戦になるだろう。そして日本は敗退するだろう。
 満州へ行くことにも意義があるだろうが,まず日本を見ることだ。満州はかならず捨てなければならなくなる日がくる。
 それに満州の苛烈な気候の中で病弱な君が本当にやっていくことができるだろうか。こういうときこそ命をとくに大切にしなければいけない。これからは敗戦後に対してどう備えていくかを,本当に真剣に考えていかなければならない」
 敬三の表情は鎮痛そのものだった。宮本はそれまで戦に勝つことはむずかしいだろうが,それほど遠くない将来に日本が敗北するということなど,まったく考えてもみなかった。
 まだ太平洋戦争も勃発する前だった。敬三がどんな情報によって日本の敗北を予測したのか宮本にはわからなかったが,宮本はそのときから戦争敗北後の日本についてぼんやりと考えるようになった。


p.150〜151 「旅する巨人」佐野眞一


ビッグマンとは,渋沢敬三のような人だよね。出自の時点でビッグであることが定められていたとしても。


旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三