昨日のニュース。
不登校の小中学生たちが通うフリースクールへの支援のあり方について、文部科学省は法改正も視野に検討し始めた。有識者による初会合が30日に開かれた。現在、フリースクールは国の制度に位置づけられておらず、制度化されれば、子どもを学校に通わせるよう親に義務づけた1941年以来の政策転換となる。
法律上の学校であるかどうかで,日本国憲法の「保護する子女に普通教育を受けさせる義務」が問われているわけだ。
だが,ハコモノとしての「学校」が対象になるのか。以前,こんなツィートした。
さっき,テレビCMで見た進研ゼミ中学講座の「ライブ授業」のCM動画。もはや,学校というハードに登校する意味あんのか,と思う。少なくとも院内学級の代替にはなっちゃうよね。時代もここまで来たんだね。 http://t.co/vJvOEBGO
— ウチダカズヒロ (@kazgeo) 2013, 2月 10
サラリーマン化した教員を排除するには、小学校は公文とお稽古教室。中学校はwebとお稽古教室、と民営化するしかない、と思うんですよ。 “@mfuna: @kazgeo わりと、そんな先生ばかりですよ<根拠が根拠になってない”
— ウチダカズヒロ (@kazgeo) 2013, 11月 8
時代の方がどんどん,変わっている。そもそも,教育とは。そして,その教育の成果とは何かが,問われることになるだろう。
その一方で,変わらぬものもある。
家庭教育とは何か。「家の手伝いをする」。「きちんとあいさつをする」。「嬉しい,悲しいの感情を言葉で表現する」。「困ったことや心配な時は周りに助けを求める」など。こうしたことを教えることではないか。これらができれば,優秀な成績でなくとも生きていけると思う。
— ウチダカズヒロ (@kazgeo) 2011, 8月 6
いや,ホント,教育とは?を議論すべきですよ。
国家が市民社会の形成に向け,義務を課している教育についてですよ。