思いの揺らぎも記録されることがある。個人の日記ではなく、後世に伝わる記録としてである。記録されたのは、昭和天皇。その内々に交わされた言葉により意思が決せられたならば、大きく歴史が変わったことも多かったはずであり、そうした揺らぎの範囲のなかに、いまの我々も生きているということだ。
印象的だったのは、地位を脅かされることに怯える君主である。何より民衆が蜂起して体制を覆す革命が怖い。地位に固執していないはずなのに、つい自身と地位を同一視してしまうからなのかもしれない。それは天子イデオロギーと言っていいのだろう。それと、やはり家族関係、皇太后との関係であり、弟たちや皇太子との関係を本人は相当、意識しているし、人間観に影響している。立場ゆえ実直に話しをできないこと故なのだろうか。
また、読み進めながら、ずっと気になっていることがある。拝謁した者が、見聞きしたことを当時の政権実力者に漏らさないことはあるだろうか。逆に、新聞等で世間の事情に通じるお上に、政権担当者がお伺いを立てたことはなかっただろうか。重すぎると感じた判断を委ねるようなことはしなかっただろうか。そうして、頼られると思うからこそ、側近に日常的に溢すのではないだろうか。そうでなければ、旧憲法と新憲法でも自分は変わらない、と言うだろうか。関係者の間で秘されているだけではないか。「皇室報道」をするマスコミも一緒になって。
勢いや時勢という時運を語る昭和天皇だが、光格天皇自らが動いて実現させた数々とそれらに連なる天皇号復活などの一連の尊王思想について、光格天皇が大きな契機であり歴史の転換となったということを、昭和天皇自身がどう思っていたかも知りたいところではある。