読書感想文「新型コロナウイルスを制圧する ウイルス学教授が説く、その「正体」」  河岡 義裕 (著), 聞き手・河合 香織 (著)

 「本書は,これまでにわかって来たこと,分かっていないことを多くの人に伝えることを目的として企画された」。この企ては成功した。「感染症は病原体に曝されなければ感染を避けることができる」。そうであるならば,「有効なワクチンや抗ウイルス薬ができて,本当の意味でのウィズ・コロナ,ポスト・コロナの時を迎えるまで」,当たり前の感染症対策をやり続けるということだ。
 語るのは,東京大学医科学研究所ウイルス感染分野教授の河岡先生。誇張もなく,分かりやすい。「多くの人が勘違いをしているのですが,戦いと思っているのは人間だけです。ウイルスに生存戦略などありませんし,何も考えていません。(略)よくウイルスが人を襲うなどの言い方をしますが,ウイルスを擬人化してはいけません」。
 ウイルスとは何か。これからも流行するのか。無闇に恐れる必要はない。気が緩んでいるからウイルスに感染するわけではない…など,放っておくと不安と諦念だけが広がってしまう中,まず,手に取るべきは,河岡先生のこの一冊だ。今後の増補改訂版を逐次,出版してほしい。


読書感想文「京都まみれ」井上 章一 (著)

 「京都ぎらい」パート2,である。煎じ詰めれば,首「都」で無くなった京都の妬み,そねみである。江戸が実権を持ち,商都・大坂が栄える中,京には「天皇がいる」。このことをアイデンティティにしていたのに…。
 では,京都とは?を突き詰めてしまうと洛中洛外問題が発生する。洛中こそが京都である-すなわち,洛中原理主義である。では,洛中とは?洛中の境界線は?
 井上が相手にする京都問題とは,県都,県庁所在地として栄えた地方都市問題なのだ。かつて賑わい繁栄した地方都市が,その輝きを失い「この町らしさとは?」を自問するのは,日本中で見られる光景であり,神社仏閣,歴史ある町並み,年中行事,さまざまあれど,満たされない京都人の感情。こうした渦巻く思いは,日本中の田舎に見られるやるせなさの正体だ。
 なぜ,自分が暮らす町に自分自身のアイデンティティを投影してしまうのだろう。なぜ,●●出身であることや,現在の自分自身の生業や活動を分離できずにとらわれたままなのだろう。個人の人格形成や宗教意識にも関わってくるだろうから,別な著者に期待しようか。
 ちなみに,茶道表千家の家元は同志社大学卒であり,茶道裏千家の家元の長男は跡を継がず,次男が若宗匠となっている。このことを頭に入れておくと読後,味わい深いと思う。


京都まみれ (朝日新書)

京都まみれ (朝日新書)

読書感想文「サピエンス全史(上),(下)」ユヴァル・ノア・ハラリ (著)

 世界的ベストセラーである。言うなれば,世界のみんながこれを読んでいる,ということだ。これまでも歴史の大著なら,いくつもあったわけだが,この本を多くの人が手に取ったのはなぜか。
 征服者や為政者といった誰が統治したかが中心ではなく,人間そのものが,どう振る舞い,結果,どんな社会をつくることになったかに焦点を当てているからだ。「人類は狩猟採集社会から農耕社会へ移行しました」。教科書はこうだ。だが,ハラリはどう狩猟採集しどんな社会を築いていたのか,何の因果で,うっかり農耕を始めてしまったのか。そして,それがどんな,もう戻れない社会にしてしまったのか。やがて,貨幣,帝国,宗教を生み出し,複雑化,混沌とし,止めの産業革命,そしてIT革命である。
 コミュニティ,家族といった紐帯が一層脆くなる中で,そもそも何でこんなにもハイテクでバラバラな俺たちなんだ!いったいいつからこんなになっちゃってるんだよ?!に,ハラリが答えてしまったが故に,売れに売れたのだ。
 世界は答えを手にしている。


読書感想文「じんかん」今村 翔吾 (著)

 歴史学者は,この面白さを独り占めするために,この男にずっと日の光を当てずにいたのではないかーそう思わせるほど,抜群に面白い。松永弾正久秀である。数寄者にして謀反を繰り返すクレージー爺い。茶釜「平蜘蛛」に爆薬を詰めて自害の全くわけわかんねー,が世間の認識のせいぜいではなかろうか。
 それを今回,見事にスポットライトを浴びせきった。権力・武力にスキが生じると,誤算と打算が常に話をややこしくする,それが室町幕府の末期の将軍家と管領の姿だった。それを実質,仕切った三好家。さらに,三好家の中で切れ者として期待に応えたのが久秀だった。
 まだまだ,登り坂の途中の信長にプロンプターをさせるという発想(!)。神仏と人間社会のリアルのテーマ設定,謎多き人物だからこそ血肉を通わせようとする作者の意図は大成功している。
 堺を窓口に畿内に金をばらまいた三好家の資金源は何だったのだろうか。武野紹鴎の弟子たちと久秀のとの交流は?など興味は広がる。期待以上だ。


じんかん

じんかん

読書感想文「ナショナル ジオグラフィック日本版 2020年8月号」ナショナル ジオグラフィック (編集)

 <パンデミックと闘い続ける人類>である。天然痘,ペスト,コレラ赤痢チフス,ポリオ,炭疽狂犬病,敗血症,エボラ,これまでに人類が向き合ってきたこれらの感染症。直接,立ち向かった研究者や医者は,ジェンナーやパスツール,コッホなど偉人伝として有名な方々もいれば,今回,初めて目にする方もいた。
 いま,新型コロナに立ち向かっている人たちの中でも抜きんでた存在であるのが,マイケル・キャラハン。抜群の行動力と実績で,あのダイヤモンド・プリンセス号では検疫作業を手伝ってもいた。キャラハンのアイディアである「自分たちの健康を守るには,ほかの国々がそれぞれのニーズを満たせるよう,実情にあった支援策を見いだす必要がある」という考え方は,まさに,SDGsがこれだけ流行し,消費されている中で,「利他」を国際協力の中で実践しようとするものだ。シミ抜きや繕いにも似たパンデミック対策への費用は目に見えない分,効果を図りづらい。だからこそ,この雑誌の特集から我々は感染症の歴史を学ぶ必要があるのだ。


読書感想文「虫とゴリラ」養老 孟司 (著), 山極 寿一 (著)

 大局観を持って現代社会を語れる知性である養老孟司。その後継者にもっともふさわしいポジションにいる山極寿一。二人の対談本である。互いが語ることは幅広い。何せ,虫を趣味とする解剖学者と類人猿をテーマとするフィールドワーカーの組み合わせだ。双方もちネタは多い。
 フォッサマグナを境とする種の分断。毛繕いとコミュニケーション。言葉と情報と実体。成長における「離乳期」と「思春期スバート」。「意味づけ」の無意味などなど。
 そして,明治維新と,戦後期。日本人の精神世界に重大なインパクトを及ぼしたこの2つの大転換期を子どもとして過ごした人たちが世間の欺瞞に気づいたことがモノづくりに熱中させるキッカケになったのでは,という言説はとても興味深い。昨日までチョンマゲ二本差しの身分が平民になっちゃった家の子どもにとって,信じられるものはモノ。それを作る嘘をつかないテクノロジーでしかなく,明治維新に子どもだった北里柴三郎野口英世志賀潔豊田佐吉らと同様,戦中戦後を見てきた子どもたちがモノづくり日本の担い手となったという指摘である。
 いま,STAY HOMEさせられた子どもたちは,どう常識を疑い,どんな信じられるものを見つけ出すことになるのだろうか。



虫とゴリラ

虫とゴリラ

読書感想文「こわいもの知らずの病理学講義」仲野徹 (著)

 コロナ禍のいま,あらためて「病気とは」そのものから考える一冊。書評サイトHonzで活躍するオモロいオッちゃんである仲野先生が説く病理学である。
 病気の学問である病理学の立場からは,医学や生物学で使われる論理の多くは,決して論理的な難しさがあるわけではないと言う。専門用語がたくさん出てくるので難しく感じるだけだから,医者の説明を聞くといいのだ,と。
 それにしても,細胞である。細胞の理解が病気の理解なのだ。
 「病の皇帝」がん。では,新型コロナの肩書は何になるのだろうか。「疫学というのは,個人ではなくて集団における病気の状態を解析して,病気の原因や予防法をさぐる学問です。(略)もともとは伝染病が主な対象でした。いちばん有名な研究は,まだ病原微生物が病気をひきおこすということすら知られていない19世紀中頃のコレラの話です」。まさに,いま疫学の時代の最中である。


こわいもの知らずの病理学講義

こわいもの知らずの病理学講義

  • 作者:仲野徹
  • 発売日: 2017/09/19
  • メディア: 単行本