「新たな呼称」とは別に,限界集落の言葉は残るんじゃないかな

中山間地域の活気と意欲を高め、新たな希望を喚起するとともに、都市住民の中山間地域への理解と関心を高めるため、「高齢化が進行し、集落機能の低下が危惧される状況にあっても、元気な集落づくりに取り組む集落」に対する「新たな呼称」を募集します。


宮崎県:元気な集落づくりに取り組む集落に対する「新たな呼称」の募集について


 と宮崎県のホームページにあるわけだが,何を言ってるのか実はよくわからない。というのも,

 「限界集落」という呼び方が、過疎や高齢化が進んでいるマイナスイメージにつながっている――。高齢者が人口の半分以上を占める県内の集落は104。東国原知事は「学説上の呼び方に過ぎない」と、限界集落という呼称に否定的だ。県は山間地に活気が出る新たな呼称の募集を始めた。

 「限界集落」とは、長野大の大野晃教授が提唱している概念で、「65歳以上の高齢者が人口の半数を超え、冠婚葬祭などが行えず共同生活の維持が困難になっている集落」のこと。県では「共同生活の維持が困難かどうかを判断する基準がはっきりしない」とし、この呼称を使っておらず、集落数も把握していない。


「限界集落」やる気出ない、活気でる新名称を宮崎県募集 : 地域版 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


と「限界集落」って言うなー,ということのようなのだが,同県の募集ページには「限界集落」と表記しないものだから,「新たな呼称」,はぁ?そうですか。てな具合。
 よーく見ると,宮崎県の対象集落とは,「元気な集落づくりに取り組む集落」なのであって,「冠婚葬祭などが行えず共同生活の維持が困難になっている集落」ではない。「新たな呼称」で呼ばれることを喜ぶような集落はそもそも限界集落ではないし,「限界集落」などと呼ばれて反発するような地域とは,本来,そんな元気があるんなら限界集落ではない。
 集落ではなく散居なのかもしれないし,もともと勝手にネガティブイメージを膨らませた側が,言葉をいじくっているように思うのだ。わざわざ,県の予算を使って。どうかねぇ。