映画「英国王のスピーチ」に見る「ニュー」メディアの使い方


 録りためてた放送のうち,映画「英国王のスピーチ」を見た。

英国王のスピーチ』(えいこくおうのスピーチ、原題:The King's Speech)は、2010年のイギリスの歴史ドラマ映画。第83回アカデミー賞作品賞受賞作品。イギリス王ジョージ6世(即位前はヨーク公アルバート王子)の史実を基にしている。


英国王のスピーチ - Wikipedia


 人によって感心する点は,当然違うと思うのだけど,私は状況の変化への対応として見た。

映画の展開は最初はアルバート王子としての「演説」体験、最後にジョージ6世としての重要な「演説」体験があり、その2つの演説の間に、彼が「話し方」に対して努力を重ねて、吃音症と向き合い、国民から敬愛される国王として成長していくドラマ、という構成になっている。


英国王のスピーチ - Wikipedia


 この2度の演説に関わって,聴衆への語りかけに限らない「変化」があった。彼の父・ジョージ5世がクリスマスのためのラジオ中継が行っていた。当然,主人公の新国王のジョージ6世もマイクに向かうこととなる。
 彼や彼の父の以前の王であれば,向き合う大衆の数など知れていた。拡声装置のない頃,肉声の届く距離など知れており,王は馬上で荘厳なる姿を見せ威風堂々としている(ふり)をしているだけでよかった。テクノロジーの進歩とともに,新たな時代の王は,マイクに向かって,いかに話をするか,という技量も求められるようになった。それが王の仕事となった。ラジオで伝えられないのは王ではない。
 放送を意識し,使い切ったのは,アメリカの歴代大統領であるし,小泉純一郎であったことを誰しも共感していただけると思う。為政者のラジオ,テレビ時代があった。
 そして現在,オバマは,ブログを書き,ツィッターを使い倒し,フェイスブック,そしてピンタレストと,オバマが何を使い出すか,が指標とすらなっている。いまの時代の「変化」とは,ソーシャルメディアを使えるか否か,だ。これを使えない者は君臨できない。ジョージ5世が意識し,ジョージ6世が自らに鍛錬を課して身につけたように。
 顕在化は始まっている。

SNSを使えない地方の政治家や首長はまず間違いなく淘汰されていくでしょう」。樋渡武雄市長、すごい言い切ってる。朝日新聞「耕論」面。/武雄市長物語 : 使わぬ地方首長は淘汰 http://bit.ly/JzTWrJ

https://twitter.com/#!/sasakitoshinao/status/195286606066892800


追記:私も携帯電話やパソコンを持っていない高齢者のことを行政は考えていない,とお叱りを受ける。携帯電話やパソコン「にも」発信していくのであり,携帯電話やパソコン「だけに」発信するのではない。それは,国民全員がラジオを持っていなかった時代と特別に変わるわけではない。重要なのは,持っている者が周りに呼びかけ話しかけることだ,と思う。


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