また,司馬遼の言葉。とてもじゃないが,こんな言葉はおいそれとは吐けない。
なんかこう選挙のときとか、世論が大きく沸き起こってる件に関する一部左派の言動とか見てると、嫌な気分になることが多い。「わしらが啓蒙しなければ」的意気込みとか、「意識の低い」マスを見下すような言動が嫌いなのかも。うーん…エリートコンプレックスかも。
のkmizusawaさんのエントリーを読んで,司馬遼の話しを思い出した。
明治の終わりに,マルクス主義の雰囲気が日本に入ってきています。大正期にロシア革命の成功があり,生き生きと左翼運動が始まります。
昭和初年になると,学者たちもそれに参加したというか,マルクス・レーニン主義で日本の歴史を見る,解釈する,そういう人たちが出てきた。
私は,彼らは基本的に間違っていたなと思うことがあります。
そもそも土地制度が全く違う国にマルクス・レーニン主義を当てはめようとするのは強引でした。
結局,日本の左翼が衰亡していった理由のひとつに,左翼の人たちが日本史について,あまりご存知ではなかったことがあるのではないかと思います。(略)
日本の場合,土地の所有制度その他がロシアとは全くちがいます。
ロシアの場合,ツァーリ(皇帝)を倒せばしまいです。ツァーリは最も巨大な地主であり,ロシアという社会は,ツァーリと農奴の関係に集約される。ですからツァーリさえ倒せば社会が倒れ,革命を成功させることができた。
中国革命もそうですね。
蒋介石の国民党政権の末期,農民の七割ほどは小作だったそうですな。残りの三割に満たないのが地主であり,地主を追い出してしまえば,それで革命は成立する。
しかし日本の場合,だれを倒せばよいのかわかりにくいですね。
昭和初年でも,だれを倒せばよいのかわからなかった。たとえば独占金融資本を倒せというスローガンをよく聞きましたが,日本の場合,独占金融資本とは何でしょうね。(略)
つまり,昭和初年の学者たちは,そういうことをきちんと書くべきでしたね。マルクス・レーニン主義の歴史観は,どの国にも一様に当てはまるものではなく,日本には日本なりの見方が必要だった。それを踏まえて日本の良いところ,悪いところを見ていけばよかった。このことは今日の日本の左翼運動の衰弱と多少の関係があるように思います。
司馬遼太郎 全講演2 p.308〜312「ロシアについて」
頭でっかちではいけない。特に舶来ものは格好よく見える。だから,「〜では,○○であり」と,考え方ではなく知識そのものをひけらかす「デハノカミ」になる。目の前のことや自分の足で稼いだわけでもない単なる知識だけでは,見えるものも見えなくなってしまう。
そのことが誰しもわかっているから,「啓蒙」への反発となって現れるのではないか。
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