インターネットの「チープ革命」の本質を司馬遼太郎は「アメリカ文明の大衆経済の面でのおもしろさは,自由(フリー)に,“無料”という意味があること」と見抜いていた。


 ちょっと,振りが大げさかもしれないが,以下の引用をご覧いただきたい。

 前回,ハリスが自分が中学校を出ていないために,ニューヨーク市の教育長になったとき,私立の無料中学校(アカデミー)をつくったということをのべた。
 アメリカ文明の大衆経済の面でのおもしろさは,自由(フリー)に,“無料”という意味があることである。たとえば居酒屋でビールをジョッキで注文すると,たっぷりとおつまみが無料(フリー)でついてくる。ハリスの右(引用者注:縦書きでの右,横書き時は上)の学校も,
「無料中学校(フリー・アカデミー)」
 と呼ばれた。この案は,当時の有産階級からはげしい反対があった。金持はたいてい私学に寄付している。
 かれらにすれば教育に金がかかるのは当然のことで,金がなければ,学校へゆかなければいいということだった。市が無料中学校をつくって自分たちの税金を注ぎ込むなどとんでもない,ということなのである。
 ハリスが私財を投じることで,市の有力者も動き,学校は実現した。


司馬遼太郎街道をゆく39 ニューヨーク散歩」p.76〜77


 ハリスとは,タウンゼント・ハリス(1804〜78)。ペリーが来航した2年後にアメリカを代表する外交官として来日,ペリーが結んだ和親条約を通商条約に改定した人物。
 この無料中学校は,まずしい少年少女のためにつくられた。教育の機会をあまねく開くという思想のもとにつくられ,それは,今日の初等教育の思想と一致するものだろう。近代社会の教育観が,今日の社会の礎となっていることを否定する者はあるまい。
 さて,ここで「ウェブ進化論」を開く。


 この「チープ革命」という概念には,「ムーアの法則」によって下落し続けるハードウェア価格,リナックスLinux)に代表されるオープンソース・ソフトウェア登場によるソフトウェアの無料化,ブロードバンド普及による回線コストの大幅下落,検索エンジンのような無償サービスの充実といったことが全て含まれる。そして,この方向がさらに極められていく「次の一〇年」は,ITに関する「必要十分」な機能のすべてを,だれもがほとんどコストを意識することなく手に入れる時代になる。


梅田望夫ウェブ進化論」p.11

 それと同時に「チープ革命」も粛々と進行中で,表現行為のためのコスト的敷居は年々低くなり,道具は誰にでも使える方向に進化するから,表現者は増加の一途をたどる。グーグルと「チープ革命」が相乗効果を起こす形での「本当の大変化」はこれから始まるのである。


梅田望夫ウェブ進化論」p.15


 十分にいきわたった初等教育が,共通の言葉,計算能力,自然科学への動機付け,社会知識を児童に獲得させることで,工業化社会を開いた。十分に情報の収集,加工手段がいきわたった先に,ひらけていく社会の入口に僕らはいる。ただ,それは,初等教育と同じように,「アメリカ文明の大衆経済の面における自由(フリー)に,“無料”という意味があること」の「おもしろさ」に由来するものである。つまり,「チープ革命」そのものは,アメリカ大衆文明の思想の具現化の一つである。そうして,次の時代もアメリカ文明が切り拓いたということに他ならない。
 また,梅田が指摘するエスタブリシュメント層の「チープ革命」への抵抗も,ハリスの頃のニューヨークの有力者の無料(フリー)への抵抗と重ねることができよう。
 もっとも,後世の人たちにとっては,「チープ革命」の前後も,一括りに「アメリカ文明時代」とまとめてしまうような気もするが。


ところで,無料中学校のその後は,

 ハリスの死後,この無料中学校が現在のニューヨーク市立大学に発展した。同時に母体だった無料中学校は,この大学の付属高校になった。校名も寄贈者のハリスをしのび,
「ザ・タウンゼント・ハリス・ホール・ハイ・スクール」
 ということになった。日本では著名な歴史上の人物であるこの人物も,アメリカで記憶されているのは,この校名だけであった。


司馬遼太郎街道をゆく39 ニューヨーク散歩」p.77


ニューヨーク散歩―街道をゆく〈39〉 (朝日文芸文庫)

ニューヨーク散歩―街道をゆく〈39〉 (朝日文芸文庫)