父娘だから言える「少し風変わりな夫であり、リベラルな父」


 id:finalvent先生の方が家族の間の機微について語るのはよほど適切だと思うのだが,昨晩,このニュースに触れ,印象に残っていたので書いておこうと思う。

 黙とうの後、長女の啓子さんが「政治家宮沢喜一のしたことがどれだけ日本の発展に貢献したかは専門家が検証すると思うが、私人としては妻を尊敬し子供を信頼してくれた。少し風変わりな夫であり、リベラルな父だった」とあいさつ。


「リベラルな父だった」 通夜で宮沢元首相の長女


 見出しでは「リベラルな父だった」とあるが,肝心なのはその前の「少し風変わりな夫であり」だ。これは,息子だと言えない。父を母との夫婦関係において評するという芸当は娘にしかできえない(まして,母親の評価など逆立ちしても無理だ)。
 しかも,その夫として父は「少し風変わり」なのだ,と語る。待て。友人や知り合いとの茶飲み話ではないのだ。政財界の関係者約千人が集う場なのだ。完全に公式な場でのスピーチ。これも息子には無理。息子は成長するにつれて近過ぎてはいけない父との関係において,父の「風変わり」さを「少し」として受入れできない。世間に巣立つ息子は,世の習いを身につけ自分を確立していく際に,父の異端さは全て過ぎたるものであって見過ごすことはできないが,娘はそれをも包含しての父なのだ。
 だからこそ,世に対し自分(たち)のものとしての父を「私人としては」と断りを入れて,あえて宣言しておかずにはいられないのだろうと思う。尊敬する父との甘い思い出とともに。


 以下は,時事が伝える内容。

 あいさつした長女のラフルアー啓子さんは「政治家、宮沢喜一のしたことがどれだけ戦後の日本復興と発展に貢献したかは、これから専門家が検証すること。私人、宮沢喜一は妻を尊敬し、子供を信頼してくれた少し風変わりな夫であり、リベラルな父だった」と振り返っていた。


2007/06/30-21:00 宮沢元首相の通夜、しめやかに


読点が抜けて印象が少し違うが,むしろ,こちらの方が家族としてのメッセージが強いように思う。娘と父か。ちょっと,うらやましい。



追記:田中眞紀子角栄を思ったりもするし。ナウシカと父ジルを思ったりもする。