暮れに読んだ小説。「地域づくりとは」の根源を考えさせてくれる良書で,細々と読み返したい。
そんな「本来目的」とは別に,気になった部分をメモ。夫婦が相手に求めるものの相違とその目線の位置について思うところがあった。
キノは典型的な農家の娘だ。子供の時からそういうふうに育てられてきた。よく働く。働くことは苦にしない。働けば働くほど実入りがあるからだ。嫁に行った家を富ませる一助に自分がなっている,という手ごたえを感ずることが出来る。
(それが農民の妻の生きがいだ)
キノは素朴にそう思っていた。
ところが夫の金次郎はちがう。(略)
(これでいいのだろうか?)
という,おどおどした気持ちがいつもつきまとう。時折そのことを金次郎に話す。金次郎は,
「俺も同じだよ。そういうことを考えるだけ,キノは成長しているのさ」
と笑う。たしかに,キノにとって金次郎は夫というだけでなく,時に師であり,時に父だった。金次郎のほうもキノに対して,ただ愛するというだけでなく,教えたり,さとしたりする。いわばキノの?人づくり?に苦心していた。それはよくわかる。が,キノが一番欲しいのはやはり?夫?なのだ。頼りたい時に頼れ,それこそ全身全霊を傾けてもたれることのできる存在だ。言葉をかえれば?安心感?と?安定感?に満ちた存在ということである。
(それが夫婦というものではないか)
キノはそう思う。ヘトヘトに疲れるほど働き,寝室で深夜抱きあって互いをいたわりあうのが,農民夫婦の幸福だ。
(それがどうも得られない)
たとえ,そばにいてもキノは金次郎に対してそういう全幅の依存心が持てない。持てないというより金次郎のほうが持たせてくれないのだ。
(略)
時折金次郎は帰ってくるが,それも,自分の仕事の方に夢中で,キノがいろいろと訴え事をしても,うわの空だ。
キノは,生まれたばかりの子供が死んでしまったことが,心の堰を失わせ金次郎と別れてしまう。
ああ,そうなのか,と思いながら,私は年越しをした。
- 作者: 童門冬二
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2001/12/14
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