以下,「プリンシプルのない日本」から。
一例として田圃の耕作をとりあげるとする。田圃には水が漏れないようにアゼ沿いに「クロ」と称する左官仕事みたいなことを毎年毎年繰り返す。
(略)
私は笑われるかもしれないが,田圃のアゼを全部コンクリートにしてみたらと思っているし,自分の僅かばかりの田圃もなるべく早い機会にコンクリートにしようと決心している。
(略)
このアゼをコンクリートで五寸の幅のものにすると,どれだけの耕作面積が増えるくらいのことは小学生でもわかるだろう。一割や一割五分の面積を増やすことはわけはない。毎年々々くりかえしている労力が省けて,その上に耕作面積がうんと増えて一石二鳥もいいところである。
聴け! 素人百姓の声−−コンクリートのアゼ作り「プリンシプルのない日本」 白洲次郎 p.184〜185
(日本経済新聞,1954年11月18日)
とかく悪しき景観の代表例の用水路コンクリート3面張りや上記のコンクリート式のアゼなどがあげられるが,それもこうした白洲たちのように農民の暮らしの向上を願ってのことだったと想像するに難くない。いま,自然派,環境派からの批判は結構だが,その一方で現在のコンクリート使用が果たしている役割と機能について,十分,検証した上で,コンクリートをはがしての現状回復を目指しているのか,よくわからない。美しい風景を甦らせ,心の原風景を取り戻したところで,元のような労力がしこたま,かかるのであれば,農村に暮らす人たちの数の減少が加速するだけだろう。
いや,コンクリートを使わずとも,暇と収量を得ることができるほど農業技術は進化も見せたのだろう,きっと。この50年ほどの間に。
- 作者: 白洲次郎
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