茶室でのことなんざ,そんな気にされなくてもヨイと思うよ。


 茶道がらみの新聞の投稿記事を見た。

 会社の茶道部でお茶を習いだした夫に、川崎の公園でお茶会があるから来てくれと言われ、出かけたことがあった。「本当に習ってたんだな」と聞かれ、「そうよ、小学4年から中学2年まで」とこたえた。

 広い公園の中に小さな和風の建物が見えた。どこが入り口か、ぐるりと回っても見つからない。裏口らしき戸の中から若い女性の声がした。「すみません、どこから入るのですか」「にじり口です」。デブの私には入れそうもない引き戸があった。下腹をぐっと引っ込めて入った。中ではお釜からやさしい湯気が立ち、おいしいお菓子とお薄を頂いた。夫のお点前も滞りなく済み、私は足のしびれをさすりながら外へ出た。

 帰宅した夫は念を押した。「本当にお茶、習ってたのか」「親友の家にお茶室があってそこで習ってたの。札幌にはあの頃、小さなお茶室なんてなかったから、にじり口なんて知らなかった」。夫は仲間の前で大恥をかいたに違いない。

 昨年、桜満開の日に夫は旅立った。恥をかかせたこと、謝ってなかったわね。あなた、ごめんなさい。そして、結婚生活48年間、愚妻の私を我慢してくれてありがとう。


(ひととき)恥かかせてごめんね:朝日新聞デジタル


「躙り口」を知らなかった,ということ。そのことを亡き夫に詫びている。じゃあ,躙り口はどれほどメジャーか。外から,畳の茶室に直接入る場合,頭を下げ膝を曲げて足のすねを擦るようにして移動することを「躙る」という。この躙った動作で室内へ入る入り口のことを,躙り口という。

 ただね,小学生から中学生の間,どれほどの頻度でお稽古を重ね,腕を上げられたかは分からない。割り稽古が中心のたまにお茶会をやる程度であれば,躙り口を知識として知っていても実感されることはなかっただろう。その年代には,なり振る舞いより,お茶を楽しんでもらうことのほうが大事だ。

 だが,「たかだか,そんなこと」なのだ,と思う。しょうがないよ,と。当時の旦那さんは責めたのだろうか。咎めたのだろうか。なんとなく,せつない。

 もはや,思い出の一つとして昇華したため,投稿できたのかもしれない。そんなことより,ご夫婦でお茶のいい思い出が一つでも二つでもあって欲しい。「大恥」でそんないい思い出が残せなかったのだとすれば,悲しい。


 ちなみに,札幌には,

中島公園内の日本庭園にたたずむこの茶室は、建築年代は不詳ですが、江戸時代初期の大名で茶人でもあった小堀遠州が設計したと伝えられています。滋賀県長浜市にあった茶室を購入した札幌の実業家が、大正8(1919)年に札幌に移築し、その際に新たに三分庵などの茶室が付設され、現在の姿になっています。


http://www.city.sapporo.jp/keikaku/keikan/rekiken/buildings/images/building04.jpg


八窓庵(旧舎那院忘筌)/札幌市


という重要文化財で,躙り口のある茶室はある。
 朝日新聞の校正担当者は,しっかりとしてもらいたい。「あの頃」には,札幌にだって小さなお茶室はあったのだよ。