火傷痕について 〜老と病〜


 右手人差し指の付け根と第二関節の間の部位(「基節」というのだ,そうだ)を軽く火傷していたのがほぼ治った。おそらく原因は熱くなったやかんのプラスチックの取っ手部分を熱いまま直接触って,火傷していたのだ。
 熱いプラスチックに触れたときは,アチチと思ったものの火傷するような程度と思わず,そのままにしていたところ,いつの間にか,すごく痒い。そして,痛い。気になる。あーーーー,もう!と,たまらず,オロナインを塗る。この時点ですでに数日が経っている。この頃には,こりゃ,火傷だな,と思うようになる。この後,皮がむけ,小さな水泡ができたのだが,この頃,ふとこうした我慢のできなさが,老いとともに全身を襲うのかと。
 病いと老いとは違うものだ,とかねてから思っている。だから、治癒しない症状とつきあっていくのが老いの生き方ではないのかと。だが,今回,地味な火傷によるこらえきれない不快感と痛みとつきあって思うのは,これに類する症状が老いとともに発生したとして,そうした痛みなどと折り合いをつけてつきあえというのは,酷な話だ。それは通常の病として治すしかないし,治したくなるはずだ。
 老いとは病いとともに生きる日常のことだ,と聞いたことがある。だとするならば,その人生のゴールデンエイジを充実させるためには,病いに支配されて生きることなぞ有りえず,どれだけ年齢を重ねても治すように病いと立ち向かうはずだ。
 たかだか低温火傷で,こんなことを思ってしまった。