そういや,「内職」の言葉に実感がともなっていた


 私の小学生の頃には,内職がリアリティを持った存在だった。小学生同士の会話の中にも,割り箸の袋入れやら,紙を折る仕事について話が出たし,アニメやホームドラマにも登場した。
 内職は,100個以上の単位で現金化される完全出来高制の世界であり,時給で換算すると恐ろしいほどの低さは,子ども心に「どんだけのハイペースでやりゃいいんだ」と思うほどだった。それでも,合間合間に繰り返す作業により現金化される作業は,需要も供給もあった。
 やはり,80年代後半には時代が転換し周りでも,メディアでも悲哀の色もこめて使われる内職はすっかり姿を見せなくなり,授業中に他の科目の宿題をこなすことを「内職」など呼んで,登場するくらいとなった。細々とした雑仕事は国内で行われなくなったことも一因なのだろう。

 小学校2年生の時、私には欲しいおもちゃが出来た。母親にねだれば良かったのだけれども、私は「働いてお金を稼ぐ!」と宣言した。母親も何を思ったのか、「それじゃ、ご近所の八百屋さんで働いたら?」と言った。


茂木健一郎 クオリア日記: 働くことの喜び


 子どもにとっては夢のような話だが,大抵は高学年の新聞配達くらいしか現金収入の道は開けておらず,当然,親が許す前に早起きや風雨の日を想像して断念する程度の根性しか,僕らには無かった。そうすると,収入は学業目標達成か,内職を含むお手伝いによる報酬となる。
 いま,「内職」をググれば,あら不思議,いっぱい出てくる。在宅ワークの別名で。