大竹伸朗さんが話すデザインセミナーに行って思った「作り手の必然」


 隣町に用があって大竹伸朗さんが来旭されたため,急遽,設定された「大竹伸朗デザインセミナー」に,昨日1月31日,行ってきた。
 1955年生まれというから,今年で56歳。私の席から遠かったこともあるけど,見た目は15歳ほど若い。って,それじゃ,俺と変わらんか。ご本人曰く「カラオケ,温泉,スナックが娯楽のすべての宇和島で,70過ぎたジーサンたちのカラオケ番。俺の40代なんて,そんなもんよ」。相対的な若さが,実際の若さにつながるということか。「ヤッパぁ…」,「…すヨォ」,「なんかァ…」,繰り返される言葉尻は,どこのあんちゃんだよ,まったく。
 縁あって,たまたま宇和島に来てしまった大竹さんは,田舎の日常において,「現代アート」なんて,なんら土地の人たちにかいま見られることなく,まして評価されることのない中で,孤独に陥る。社会的なポジションの無さであり,空虚さの連続の中に本人がいた。都会では,関係性を拒否していても成り立つ。それが田舎においては,まったくの問答無用なのだ。
 こうした状態の中で,彼はモノをつくり続ける。だって,それしか無いんだ。とはいえ,生きるマニュアルも無く,自分のやっていることがわかるときなんて来ないと思っている彼は,生きている間に確実にできることとして創作に向かう。
 結局,いまの彼の都会の目を気にしなさ,気にしてもしょうがない,だって,自分自身が,もっと,つくりたい,つくってみたい,と思っているのだから。このことは,田舎の肯定でもあるけど,どんな場所でもよい,ということでもあり,都会に評価されたいと思うことの否定でもあるだろう。
 まだまだ,自分自身の欲求が満たされないとの思いの対称にあるのは,今の世間に流れる,低い自己肯定感であったり,少ない成功体験,膨らむ一方の承認欲求だろう。
 孤独と虚無に襲われながら,それでも自分自身に従った,作り手としての日々に苦しんでいる人も多いだろう。そんな人たちにとって,大竹さんの話を笑いながら聞くことはできなかったはずだ。私は,そんなことを思った。


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大竹伸朗「全景」公式サイト