読書感想文「文豪、社長になる」門井 慶喜 (著)

 時運に恵まれた男の一生である。例えるなら、インターネット創世記にボータルサイトを立ち上げたり、専門のECサイトを開設するような慧眼であったり、最近だとショート動画をプロデュースするスタートアップなのかもしれない。
 もちろん、才覚はあった。縁を大事にし、人を覚えていた。戦略性あるセルフプロデュースにも長けていた。そして、早々に成功した。アイディアを取り入れ、座談会という現代につながるフォーマットを開始した。結果、自身の夢を実現する装置ような会社をつくった。柔軟で融通無碍な会社は業績を伸ばした。それは現代の文春砲につながる奔放さといってもいい。つくづく、会社とは、トップのパーソナリティーが反映される存在だと思わせる。
 描かれる戦中戦後の菊池寛の内面とは、自由を信奉する立派で健全な人格だ。果たしてそうか。本人が大人として、そう振る舞う理由を求めた気がしてならない。嫌なものは嫌なのだ。立場上、せざるを得ないことに不承不承、自分自身で辻褄合わせをしているのだ。バカバカしく嫌んなっちゃうことに、もっともらしい理由としての立派で健全な人格を自分に後付けしているのだろう。だって、大人だから。
 文豪(と呼ばれたくて)、(雑誌をつくって会社組織の)社長になる(ことになってしまった男の)自己顕示欲と承認欲求でスタートした一代記である。