読書感想文「パンデミックの文明論」ヤマザキ マリ (著), 中野 信子 (著)

 コロナ禍の混沌の中で,何がどう語られたかの記録の一つになるであろう対談。
 この文明社会のもとでは,パンデミックとはあくまでイメージトレーニング,想定論として万が一,起きたらどうなるかをシミュレーションしてみるのであって,世間一般には実際には起こらない対象ではなかったか。コロナによる日本社会のピント外れ感とは,ヤマザキマリ中野信子が,古代ローマ脳科学から照射する日本文明の所在なさげ感である。
 日本社会の中で居辛さを感じている異邦人な彼女たちにとっては,自由主義・民主制の国家の一員であるはずのニッポンがコロナ禍で世界から奇異に映っていることを心配している。議事録もデータも明らかにされず,指導者のメッセージも届かない,と。
 実力のある者が登用されずにいる社会を憂い,男女差別も重く,世間の空気を読まねばならず,個性は当然,殺さねばならない。これだけ炙り出された問題に,彼女らがルネサンスを夢みるのも無理もない。
 やがて,振り返りの対談があることを期待しておこう。


読書感想文「たちどまって考える」 ヤマザキマリ (著)

 人類まるごと,つんのめってコケている。コロナ禍で,コケて怪我をした程度も違えば,発した奇声も違う中,つまずきの原因となったウィルスを目にしつつ「たちどまって考える」ことを勧めている。
 あえて言おう,司馬遼太郎の名コラム「この国のかたち」,そして司馬遼にしては珍しい時事問題を扱った事事評論「風塵抄」,こられに匹敵するコラムの登場だ。とりわけ,弁証法について,司馬の言葉を思い出さずにはいられない。夏目漱石好き,福沢諭吉贔屓として,日本語を,演説をつくってきたことに引き,「言葉を大事にしない国は滅ぶ」と繰り返し述べたのが司馬だった。
 お勉強をしてしまい現代ニッポンに異邦人感を持つ意識高い系の疎外感のわけを,言葉にしてくれている。いつの頃からか,学校の体育の時間でダンスが単元となり,さらに非言語が授業となった。画面の中の文字は短く,絵文字や写真,動画の共有に忙しく,言葉を豊かにできずいる社会。しかし,それは,俳句や詩歌,茶道など,ハイコンテクスト社会であるからこそ,省略し,それを味わうものに自ずと解釈がわかるよね?という日本社会でもある。
 感情の高ぶりを排し,抑制の効いた文章を連ね始まる,この一冊。ヤマザキマリが後に思想する人としての道を歩んだ,きっかけ本と呼ばれることになるのかもしれない。


読書感想文「流人道中記 (上)(下)」浅田次郎 (著)

 世の中には,理不尽が溢れている。それ故,憤懣やる方なさが時にはみ出し,事件となる。
 そんな理不尽,出鱈目,いんちき,ぺてんが通るものか,いや,通っちゃってるんだから,この世なのだ。なので,それを記して,悲劇と呼び,皮肉を言う。
 流人と押送人。始めから終いまで,主人公とその相手は,ずっと変わらない。だが,それは,目的地に着いたときの視点から見た,この二人の立場と関係であり,理不尽な仕打ちにあったことを読者に嫌になる程,押し付ける。
 これだけ魅力的で愛すべき人が,こんなに理不尽な目にあっていいのか。理不尽のまま,なのかもしれない。もっと絶望的な先が待ち構えているのかもしれない。
 だが,読者はそう思わないだろう。この先が描かれていないからこそ,世の人たちの声が流人であることを許さないだろう,流罪が解かれるだろう,こんなはずじゃないぞ,きっときっと,と。小説の世界だ,そんな道理のない世界であってたまるか。江戸に戻り,復活する痛快劇を,読者は勝手に別な視点から,つい想像しちゃうのだ。



流人道中記 (上)(下)巻セット

流人道中記 (上)(下)巻セット

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読書感想文「「読む」って、どんなこと?」高橋 源一郎 (著)

 閑話休題である。読む,という当たり前の行為を,一度,止まって考えようとという意図である。一時停止の標識を出されたようなものだ。
 読む,というからには,対象となるテキストがある。テキストは他者が書いたものだから,その他者が書き記す意味や意図,ねらいを,自分で咀嚼して自分のなかで理解して,理解した結果を自分自身で表出させる行動,説明,要約ができるようになることだ。
 果たして,「読む」とは,そういうことですか?と,高橋源一郎は,投げかける。
 例えば,詩の世界だったり(高橋源一郎は,ホント,詩が好きなのだが,詩だけで番組をやらせてあげられないものだろうか)。禁忌に関わる話だったり,生死に関わる話だったり。これらを読むという対象の幅広さと,読んでしまうことで言葉を失ってしまったり,魂を揺さぶられたり,激しく慟哭したりしてしまうことで,「書いた人の気持ちになりましょう」なんて,とても,できないことだってある。
 さまざまなものごとを「読む」という人類が続けて来た行為が,どれほどの営みを作り上げてきたか,そんなことも思う一冊である。


読書感想文「口福のレシピ」原田ひ香 (著)

 読後,語る語る。語りたくなるのだ。読んでいる最中に絵が浮かぶのだ。
 主人公・品川留希子の実家・品川家が経営する老舗料理学校「品川料理学園」のツートップである母と祖母。寺島しのぶ富司純子でどうか。いや,吉田羊と倍賞美津子でどうか。主人公・留希子が,母に呼び出され,フレンチのコースのランチに「お話があります」と呼び出され,「覚悟しておいた方がいい」と告げられる。独特の緊張感のあるシーン,重みのある女優さん二人が必要だ。学園の理事長として招聘された坂崎は,星野源柄本佑か。飄々としながら理屈っぽく話をする人をね。
 いま,という時代の切片を鮮やかに見せる原田ひ香の筆力には,つくづく感心する。主人公の仕事,同居人である友人の暮らしの描き方だ。だが,本作は,昭和初期のもう一つの時代を重ねながら主人公の存在の根源と背負うであろう家の歴史を読者は共有する。
 口福な食のシーンに心を持っていかれるにとどまらず,確実に小説世界に没入させてくれる一冊。オススメです。


口福のレシピ

口福のレシピ

読書感想文「孤篷のひと」葉室 麟 (著)

 遠州流祖・小堀遠州である。利休,織部に次ぐ,大茶人である。当代随一の茶人としての名声を得た。では,この遠州その人,その才気に伴っての狂気,凛気,癇気を持つ天才肌の難しい人か,と言えばおそらく,そうではない。義父に藤堂高虎という格別の役割を持った人を得たため,自ずと作事の役目が周り,そのことが遠州の出番を増やし名声を与えたと言っていいのだろう。自身の美を世に問い,その美をスタンダードにせんがために革新していくような利休や織部が持った時代を変える熱気に対し,遠州とは健やかに生きることを願う茶。天下泰平の茶だという。
 これをどう読むか,天才・アーティスト・アントレプレナーの先人と,実務家の違いだと言いたい。自分の手を動かし,図面を引き,微妙な色の違い,寸分の差をとことんこだわり抜き,見たことのないモノを産み,プロデュースする者と,デザイナーやテクノロジストを使い仕組みを整え,世間の期待の少し上をゆく者との違いではないか。こんな実務家譚,私は嫌いじゃないし,小説終盤の課題解決者として仕事は見事だった。
 スティーブ・ジョブズとティム・クックの違いを思ったが,言い過ぎだろうか。


孤篷のひと (角川文庫)

孤篷のひと (角川文庫)

  • 作者:葉室 麟
  • 発売日: 2019/08/23
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読書感想文「アイルランドの地方政府――自治体ガバナンスの基本体系」マーク キャラナン (著), 藤井 誠一郎 (訳)

 大著の学術書である。ただ,これを遠い異国の小難しいだけの本と片付けることができるか。ノンである。彼我を比較し,我々の地方自治体の現場を照射するのに,これほど適切な一冊はないのではないか。
 議員の活躍の意義づけ,地方政府の行政サービスとはいったい何か,他機関との関係とマネジメントなど,まさに「地方政府」を概括的にとらえた一冊であり,地方と中央,執行機関と議会など地方におけるガバナンスを概括的に描いている。はたして,我が国の地方自治においても,同様な類書があっただろうか,と思い巡らすのだが,浅学な身としては思い浮かばない。
 何より,驚いたのが,1999年にアイルランドでは地方政府に関する憲法改正,2001年には地方政府法が成立している。日本では1999年に憲法改正に匹敵する地方分権改革一括法の成立,翌2000年の施行である。この同時代性に着目せざるをえないし,第1章「地方政府の役割」は国を問わず普遍的な価値を持つ。座標を確かめるために手に取りたくなる,そんな本である。