読書感想文「宴のあと」三島 由紀夫 (著)

 世間知らずの男の話である。
 こんな可愛らしさとさえ言えそうな生真面目を背負っているピューリタン的世間知らずが,外務大臣を務めていたなんて信じられるだろうか。戯画的だ。お人好しかも知れないが融通の効かないバカでさえある。つまるところ,甘やかされて生きてこられた男がいたのだ。まったく,どこをどう見て生きてきたのだろうか。
 一方の女主人は対極だ。生の象徴だ。リアリスティックな彼女の存在は温度と湿度がある。泥を触ったときのぬめりや重さが彼女にはある。匂いがある。現実がある。戦うことを知っているのだ。勝つことが全てではないが,勝てなくても負けないために戦うことが生きるということだ。
 だからこそ,身なりを整えさせようとする女を虚飾と呼ぶか,印象は大事だと説くか。そして,対比される男の綻びとくたびれた身なりが,必ずしも誠実を象徴するのかとの疑問も湧くはずだ。
 誰も死なず,暴力もない。財産を身包み剥がされることや貧困もないし,精神を病んで自殺する者も出てこない。出会いと選挙があっただけの話しだ。いや,朴訥なおっちょこちょいな男の話なのかも知れない。



読書感想文「うつ病は心の弱さが原因ではない: ウイルス原因説から見えるうつ病治療の未来」近藤一博 (著), にしかわたく (著)

 全ては疲労である。
 なので,ホントは休めばいいのだが,ウィルスが機能しちゃってる人はそれができない。何がって,僕等にお馴染みのヘルペスウィルスが主役なわけだ。みんな,持ってるヘルペスウィルスだ。疲労とウィルスと抗体,そして遺伝子であり,結果として生じる脳の変化がうつ病だ,と言うのだ。
 これまで,ずーっと,病気そのものはありながらも旧来の学説が温存されたまま,「よく,わかんないんだ」と言い出せずにいた分野であった。だが,遺伝子解析が容易になり,ウィルスの特定も可能になった。
 今後,一層,あんな病気やこんな病気も実はウィルスや遺伝子がファクターだったと明らかにされるものが増えるだろう。それは,世の中を変えちゃうことにもなるだろうし,色んなアイデアでそれらが発現する機構を説明してくれるだろう。田舎の工業高校や農業高校で,遺伝子解析が当たり前になる時代がくる。中学校の理科室で,かかりつけ医のクリニックで遺伝子検査のシーケンサーが動く時代が来る。
 実は,全ては遺伝子とウィルスである。


読書感想文「東芝解体 電機メーカーが消える日」大西康之 (著)

 Lo-D,Technics,OTTO,Aurex,日本marantz,DIATONE,山水,nakamichi,DENON,OPTONICA,AKAI,……。呪文ではない。かつて日本の電気メーカー各社が競って世に送り出したオーディオ・ブランドだ。大手電気メーカー系もあれば,独立系もある。かつて家電量販店にはオーディオフロア(フロアだよ,コーナーじゃないんだ)があった(好事家のために,JVC,pioneer,KENWOODYAMAHA,audiotechnicaもあったし,NECがアンプを作ってたことも触れておこう)。
 栄枯盛衰では,ある。だが,本質はそこだろうか。主役は,2008年のリーマンショックの越し方ではないか。本書が取り上げるのは,NTT一家の電電ファミリーのNEC富士通東芝,日立,と東電以下電力10社に馳せ参じる電力ファミリーである三菱重工東芝,日立。そして,シャープ,ソニーパナソニック三菱電機富士通だ。ファミリー企業は「本業」に縮小した。余技を保つ余裕がなくなったのだ。それまでの円高による海外投資の失敗もあったが,社内のリソースをどこに振ると良いかわからなくなってリストラ(構造改革じゃない。ただの撤退と事業売却だ)にリストラを重ね,切り売りし弱小化した。
 日本が海外にモノを売り,サービスやソフトで席巻するのではなく,ただアジアの金持ちの遊び場,草刈り場になって久しい。リーマンショックを紙幣を擦りまくって乗り越えた中国。負債を償却し勝てる事業に掛けた韓国。伝統芸のトゥー・レイト・トゥー・スモールの日本。結果はご覧の通りだ。
 DRAM,液晶,フラッシュメモリー,LED,iPhone,…,トピックとなるものはいくつもある。だが,経済を支えるのは金融だ。金を渋れば萎む。唯一,リーマンショックの対処を間違え衰退する国として記録されるか。はたまた,コロナ危機からかつての反省を踏まえ復活できるか,裏テーマは緊縮財政である。


読書感想文「職業としての官僚」嶋田 博子 (著)

 優秀な官僚に委ねてしまえば万事,上手くいくはず…。そんなことは誰も思わなくなって久しい今,かつての公務員制度改革には「労働市場で優秀な人材をいかに惹きつけるか」「良い政策実現のために,政治が持たない知見をどう補完するか」といった,人事政策の視点は欠落していた,と元・人事院の著者は言う。そうかも知れないが,果たしてその視点は必要だったか。
 つまり,国家という巨大組織の性格上,階層構造の硬直化しやすい組織運営を「官僚主義」と揶揄するように,そもそも能吏を大量に組織の内側に抱え無定量に働かせることが,今の時代にベストな法の施行となるのか?の検討を真剣に行なってきたかは疑わしい。
 特別優秀ではなくても真面目な事務員が,外部のリソースを使って政策の実現を図れるよう業務執行すればいいという仕組みを作るべきだし,占領下の我が国はそうだった(白洲次郎の活躍だよ)し,1964年の東京オリンピックの事務局は役人じゃない。(官僚が好き放題できちゃうような)魅力を失っている公務職場であっても政府機能を「事務的」には回るようにすべきだ。飛び切りの秀才はもう来ないし,ハナっから天才や参謀,国士に頼っちゃいけないのだ。
 「多国籍企業」や商社,GAFAなど多くの社員を抱える企業は,絶えず,社内組織体制の見直しに着手している。かつての組織管理手法が通じない今,官僚≠エリートだとすれば,紹介されている英米独仏の国家公務員とりわけイギリスの組織,任用を倣うべきだろう。そしてオープンドアなデジタル庁にも期待している。


読書感想文「布武の果て」上田 秀人 (著)

 組合,寄合スペクタクルである。
 互助組織,互恵団体は言うに及ばず,そのムラの中で権力が集中せず,納得と道理でモノゴトが決まっていくまで議を尽くす場は,日本社会の典型であり生き残りの知恵であった。そんな組合,寄合での話しだ。
 登場するのは,戦国の世の堺衆。サバイバルに長けた貿易経済特区である。大事なのは,情報だ。しかも,世事だけでは事足りず,必要なのは,権力者がどう判断するかの心理分析だ。現時点での動勢とその動勢をどう読むかと仮定した上で,商いに必要な売買を見定める。取り入るだけではダメなのだ。読んで渡り合えなくてはいけない。
 やがて,交換価値と成長を,経済と統治の原動力とする秀吉の治世となり,堺はまだまだ後世になっても栄えるが,これは優秀な経済ブレーンあってのことだ。有限な土地発想しかできない侍の連中の世になってしまえば,途端に苦しくなる。
 マーチャンダイジングの話でもあり,謀議・密議の話でもある。世の中を動かすのは,どんな「場」なのか。そして「こっそり」が公になって力を持つとき,思わぬことが進んでいたりする。
 さて,あとは読んでのお楽しみだ。私は続編を待つことにする。


読書感想文「「言葉にできる」は武器になる。」梅田 悟司 (著)

 説明用の資料をまとめようにも苦労する人がいる。せっかく作っても頓珍漢な中身にしかならない人がいる。この本は,そのことの本質を突いた。
 なぜ,伝わらないのか。違う。伝える中身,本質があやふやだからだ。そもそも伝えたい気持ちが薄かったり,やらされているだけで,そもそも伝えたくなんてなかったり,何を伝えたらいいのかわかっていなかったり,と伝える気がないんだから伝わるわけがないのだ。
 真剣に伝えようとする時,自分自身との対話がある。伝えたい一番の核は何か。伝えることで相手にどんな気持ちになってもらいたいか,どんな反応を得たいか,どんなアクションをしてもらいたいか。そのことを自分自身に問うのだ。
 だからこそ,この本が言う内発的な動機,内なる言葉が大切だ。伝える中身がないんだったら伝わるわけはないじゃん。もちろん,作文技術や資料をまとめる型を習得することで自分自身の頭の中の整理にもなるだろうし,事実と意見の区分けも大事だろう。だが,表面的なスキルはダメなんだよ。言いたいことはなんだい?お前さんは何をしたいんだい?「言葉にして」武器を得てどうなりたいんだい?いったい何なんだい?
 問われることは重い。


読書感想文「私と街たち(ほぼ自伝)」吉本ばなな (著)

 人生下り坂最高!(火野正平)の手前,まだまだ悩める吉本ばななである。
 よしゃあいいのに,人生のあれやこれやを思い出す。そして,悔いたり寂しがったりする。かつて住んだそれぞれの場所でのヒリヒリする思い出やゾワゾワする落ち着かない危なかっしいアッチ系のエピソードも添えられつつも,人との関わりが人生だったりなんだな,と確認させられる。場所を通して振り返るのはきっかけであって,その思い出すこととは家族や友人,他人さんとの関わりのことだ。
 元気まみれの型破りな無頼派の天才のイメージがあるが,その実は不安な人だ。そして,巨人・吉本隆明の没10年の時間が,次女ばななにこの思い出エッセイを書かせて毒を抜いているのだろう。
 ファッション誌とともに「キッチン」や「TUGUMI」を読んだ人たちも,新潮文庫の100冊の夏休みブックフェアを通じてそれらを読んだ人たちも,吉本ばななの現在地を知る一冊であるし,大きなお世話だがここからが面白い吉本ばなな!と勝手に期待してしまう読後感となるはずだ。