読書感想文「職業としての官僚」嶋田 博子 (著)

 優秀な官僚に委ねてしまえば万事,上手くいくはず…。そんなことは誰も思わなくなって久しい今,かつての公務員制度改革には「労働市場で優秀な人材をいかに惹きつけるか」「良い政策実現のために,政治が持たない知見をどう補完するか」といった,人事政策の視点は欠落していた,と元・人事院の著者は言う。そうかも知れないが,果たしてその視点は必要だったか。
 つまり,国家という巨大組織の性格上,階層構造の硬直化しやすい組織運営を「官僚主義」と揶揄するように,そもそも能吏を大量に組織の内側に抱え無定量に働かせることが,今の時代にベストな法の施行となるのか?の検討を真剣に行なってきたかは疑わしい。
 特別優秀ではなくても真面目な事務員が,外部のリソースを使って政策の実現を図れるよう業務執行すればいいという仕組みを作るべきだし,占領下の我が国はそうだった(白洲次郎の活躍だよ)し,1964年の東京オリンピックの事務局は役人じゃない。(官僚が好き放題できちゃうような)魅力を失っている公務職場であっても政府機能を「事務的」には回るようにすべきだ。飛び切りの秀才はもう来ないし,ハナっから天才や参謀,国士に頼っちゃいけないのだ。
 「多国籍企業」や商社,GAFAなど多くの社員を抱える企業は,絶えず,社内組織体制の見直しに着手している。かつての組織管理手法が通じない今,官僚≠エリートだとすれば,紹介されている英米独仏の国家公務員とりわけイギリスの組織,任用を倣うべきだろう。そしてオープンドアなデジタル庁にも期待している。