村上春樹「アフターダーク」読み終える

月曜日には,図書館で本を借りたい

で,書いたとおり,市立図書感で借出した「アフターダーク」を読み終えた。finalvent先生の書評を読んで印象が頭についてしまわぬように,一気に読んだ。感想は以下のとおり。


 台詞が饒舌だ。嚼んで含んで説き伏せるようによくしゃべる。嫌ではないが,よくしゃべると思わせる。また,物語がするすると剥けて明かされていくようなものではない。静かに小気味よく進む。そうした明るさが「アフターダーク」ということなのだろう。
 たまたま,手元に古い朝日新聞村上春樹インタビューがある。

 「若い人には,ああいう風に生きたり,考えたりしたいと思わせるロール(役割)モデルが必要だと思う。時代が変わるとき,物語はつねに,いくつかのロールモデルを提示してきた。太宰治にしろ,大江健三郎にしろ,そうだった。時代がモデルとしての物語を要求しているともいえるし,小説家は叱るべきモデルを自分の物語として消化させ提示しなければいけない。

村上春樹「変化」を語る 下
朝日新聞 1997年(平成9年)6月5日

 「アフターダーク」のマリとは,そうしたモデルではなかろうか。「もののけ姫」以降,少女が自立する夢を持てるような物語を描きたい,と言っていた宮崎駿と同じように,決して,少女を取り巻く状況が閉塞さが取り払われたとは思わない。状況は相変わらず重苦しいままだ。援助交際の話題が少なくなったのは,それが減ったのではなく,風俗として一般化したためだ。こうした少女をめぐる状況に,少女たちへ向き合うように提示したモデルがマリなのだと思う。海外にすら発信される「カワイイ」でくくることでの退避に対し,将来と向き合うよううながすための物語とした私は読んだ。

 ところで,明日は月曜日で図書感が休みだ。ほら,読み終えたのに,新しい一冊を借出しできないじゃないか。