ハイタッチ


 いい光景を見た。
 例年,この時期になると近隣の小学校から卒業式への来賓出席のご案内をいただく。特等席でセレモニーに参列させていただける光栄な機会なのでお邪魔させていただいている。せっかくご用意されている来賓席を埋めるのも仕事かとも思うので。
 昨日,出席した小学校の卒業式は,6年生が1クラスの小さな小学校。もっとも市街地中心部なので,この大きさが当たり前になっているのか,とは思うが,こうしたサイズにもう少しすると違和感すら覚えなくなるのか,この子たちが親のときにはまた違ったシーンになっているだろうか,早い子だと,私がまだ現役のうちに親になるのか。教育や学校そのものに日本人の多くがことさら論者になったり,学校というハードに心を寄せる象徴になりすぎるのは,子どもをことさら愛でる日本人の風習の裏返しなのだろう。ただ,その部分と教育を万人に行き渡らせる教育制度,教育行政というものを切り分けて考えた方がいいと思うのだけど。
 話を戻す。卒業式は,比較的オーソドックスなもので好感を持った。工夫の凝らし方に先生方の肩に力が入りすぎてしまいました感の多くなりがちな学校のセレモニーにあって抑制が効いていたように思う。たとえば,入場のコース取り。たまに,式場の中をぐるぐる回り,席に着くまでの顔見せ行脚が長過ぎないか,と思う式がある。また,英語の歌詞の合唱。なぜ,小学校1年生もトゥゲーザーと歌わねばならんのか。ルー語か。いいよ,そんな歌。さらに,学校の内側でしか盛り上がれないスライドショー。ハハハ(冷汗)状態をどうしてくれんだ,と思う。こうした悪習が昨日はなかった。落ち着いた式だった。
 嗚咽するような号泣まではなかったが,それでもしんみりと涙をたたえて卒業生は退場し,式典は終わりとなった。卒業生が抜けて出て行った先への廊下の入り口開いていて,ちょうど私の席から,ホッと息をつき彼の後ろ姿が見えた。先導した担任教諭が廊下の先で,生徒たちに向き合い,一人一人に手のひらを広げていた。卒業生は元気にハイタッチをし,最後のスキンシップをしていた。
 いい光景を見た。
 緊張から解放されて,リラックスを担任の先生と共有できることを,そうして,その共有をハイタッチというモダンな形で実行できるあなたたちの卒業式をうらやましく思った。式典そのものは型通りのものだけど,その終わりの出来事をできることなら覚えていてほしいし,そのことを後に語り合える友人が,その仲間の中にいてほしい。
 今年も卒業式に出席できたことに感謝する。