言葉の本であり,態度の本であり,事実についての本であり,生き方の本である。
なぜか。我々は,難しい時代に生きているからである。どう難しいか。我々はメディアの影響を逃れられないからだ。テレビやラジオ,新聞は言うのに及ばず,ネットの書き込みやSNSに毒されずにいられないからだ。
あるシチュエーションに置かれて,湧き上がらずいられようか。ノンと背を向けることができようか。自分自身をコントロールし続けることができようか。
本当に短い講演録である。だが,誠実に,時代の危うさと向き合い,自身の読者たちが大勢いる講演の場で言葉を紡いでいる。
リーダーとは,ついて行きたくなっちゃう人か。頼りがいがあり,実際,頼りになる人のことか。リードされる側の大勢とは?そのリーダーについて行って,安心したいのか。包まれている感じが欲しいのか。そのカッコいいリーダーを担いでいる自分が誇らしいのか。
ほんとうのリーダーとは,誰だ?さあ,ページを開いてみよう。
読書感想文「FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」ハンス・ロスリング (著), オーラ・ロスリング (著)ほか
「10の本能」が真実を見誤せる。我々の目を曇らせるのが10の本能だ。本著では「思い込み」という言葉が繰り返される。古く凝り固まったままのイメージで,世界を見ている。いや,違う。見ようともしていない。著者は言う,『知ってると思い込んでいるだけで,本当は印象に流されているだけですよ』,『あなたの意見は,根も葉もないただの感情論ですよ』。
そんな忘れっぽい(本当は,たいして知る気もない)我々のための10の本能を書き出しておこう。1)分断本能,2)ネガティヴ本能,3)直線本能,4)恐怖本能,5)過大視本能,6)パターン化本能,7)宿命本能,8)単純化本能,9)犯人探し本能,10)焦り本能。
気づいただろうか。我々は,分断され,どんどん悪くなり,目の前のことをことさら大きくとらえ,恐怖し,犯人を探し,焦っている。
ファクトフルネス=事実に基づき,本能が引き起こす勘違いに気づくことで,世界を正しく認識し,未来を予測し危機に対応することだ。いま,世界はウィルスが蔓延した状況下にある。だが,それによって,ありもしない社会の亀裂を強調するのはやめるべきだ。
一度読んだ人も未読の人も,落ちつくために手に取ろう。
FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
- 作者:ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド
- 発売日: 2019/01/01
- メディア: Kindle版
読書感想文「「線」の思考―鉄道と宗教と天皇と」原武史 (著)
現代の「街道をゆく」である。原先生なので,副題のとおり「鉄道と宗教と天皇」が柱になるし,読者の期待もそこにある。近代の天皇巡幸地が,原先生たちの訪問先となるわけだが,行った先では,記紀の時代に遡るどころか,古墳時代までもが視野の範囲となる。また,東シナ海や沿海州方面との関わり合いも考察の対象だ。
取材チームは,当然,鉄分が多くなる。だが,どうだろうか。巡幸先での天皇の移動は,もはや,平成の世にあっては,パトカーに先導されてのトヨタ・センチュリーだったりする。鉄路を失うか減るかして,不便になった地域では,川に橋が架けられバイパス道路が整備されるなどして,道路延長も伸びた。道路特定財源が地域を繋いだ。こうした鉄分の少ない話から地域を描く研究者の登場も待ち望まれるのではないか。
運行ダイヤ数が移動基盤を象徴した時代から,オンデマンド交通やライドシェアの時代になった。インターネットと道路網の上で,アマゾンを経由してモノが届き,ウーバーイーツで飯が届く。そうした「網」に絡めとられた僕らの生活と,コロナ禍を経て疫病と宗教をどう思考するのか,そんな論述が読めることを楽しみに待ちたい。
読書感想文「「松本清張」で読む昭和史」 原 武史 (著)
現在と地続きの「昭和」である。令和にとって平成が前例となるが,その平成に色濃く影響したのが,昭和である。昭和とは何か。ずっと続いたのが,昭和である。昭和という元号があまりにも長く続いたせいで,昭和が当たり前になり過ぎて,年の表記が昭和であることの不便さや非効率さが感じられなくなった。当たり前すぎる世間としての昭和に,いや,そうじゃねーだろ,と言ったのが松本清張である。上っ面の昭和史に異議申し立てをしたのだ。
それを入念な事実や証拠を突きつけて,掘り出した「暗部」に裏付けを積み重ねた。そうした批判を跳ね除ける綿密さが,今なお,読者を惹きつけている理由だろう。
令和はコロナとともにスタートした。人,モノ,情報が溢れ,行き交った時代から,慎重になることを求められる時代として,である。「お言葉」もダイレクトではなくなくった。しかしながら,平成と令和の関係のみではなく,昭和から今を照射するために手に取ってみてもらいたい一冊だ。
- 作者:武史, 原
- 発売日: 2019/10/10
- メディア: 単行本
読書感想文「アンと愛情」坂木司 (著)
主人公・アンは成長したか。高校を出て3年。デパートにテナントとして出店する和菓子屋のアルバイトとして,ただオーダーの入った商品を詰めて会計するのではなく,商品としての和菓子を愛するが故に,客との間のコミュニケーションや商品知識を深めながら,店先に立つ和菓子探偵よろしくドンピシャの和菓子を探し出す。そんな話も3冊目。アンは相変わらず,自信なく怖気づきながら,変わってへんのかい!そんなことも言いたくなる。
歴史と技法が詰め込まれた和菓子。そうした伝統の世界と,物販と集客の一典型であるデパ地下。高卒で正社員では無いアルバイトの自分を卑下するアン。そうした所在なさげな「自分」とキッチリと組み上がった「大人」な世間とのコントラストを「そうだよねー,そうだよねー」とページをめくる読者を思い浮かべるといいのだろう。
徒手空拳で和菓子の世界という大海に向かい,ただただ自分の卑小さを感じているその時,「でも,あなたは成長し居場所があるのだよ」と,いい大人の読み手は伝えてあげたくなるのだ。
読書感想文「手の倫理」 伊藤 亜紗 (著)
インターフェース論である。境界がある。自分と他者の境目である。その物理面での境界を知り得る「触覚」がテーマなのである。
触覚が伝える情報量の多さとは,視覚とはフェーズが違う。温度,圧,面積,水分などなど。そして,それらが時間とともに絶えず変化し,そして,その接触面からこちら側の情報も伝えるとともに,重心や捻り,ねじりなど2次的な情報が伝わる。
面白いのは,触覚を通じたやり取りとは,「押し合いへし合い」であるため,自我を貫き通すこととはならず,「受容」が生じ,相手とシンクロしたり,委ねたりすることになることだ。
直の接触以外に,ロープ,棒,手拭い,スポーツ用具をつかって相手と繋がるなど,直接,間接を問わず,ソーシャル・ディスタンスは取るべき社会となった。「触れた」となれば,手を洗わなければならない。
近現代は非接触に価値を置き,接触をより避ける方向に進んだ。接触の禁忌や接触してしまうリスクを避ける道徳,倫理をも説く一冊。さて,ページを「めくって」もらいたい。
読書感想文「一橋桐子(76)の犯罪日記」原田ひ香 (著)
主人公・桐子その人がやけにくっきりと浮かび上がる。目の前にいるようだ。これまでの人生での社会経験を経た上品な佇まい。八千草薫か。
原田ひ香は,またしても,社会の矛盾,デタラメ,不公平を描く。そしてそれらが絡み合う不幸を。歳を取るーそれは,体が衰える,頭脳の明晰さが陰る,つまり,にぶる。それだけか。違う。心がすり減る,摩滅する。折れる。失うのだ,あれやこれやを。その正体とは,生きていく炎,意欲というべきか。
犯罪は転がっている。悪人は,素人や堅気をいつもカモにしようと,すぐ隣にいる。もともと,世間様やお天道様が空気を澱ませず,日を照らしていたなら,犯罪や悪は近寄って来られなかったものが,世間が閉じ,歪み,市民社会の健全な明るさが陰る今,カビが腐敗が生じる。健康な時間がこぼれ落ちるのが老いである。暗い気持ちはどうしたって抱えるのだ。
まるで,くすみの無い心を持つような主人公・桐子の冒険譚のような話でもある。
待てよ,キリコとは,手塚治虫の医療漫画「ブラック・ジャック」の旧縁のあの「死に神の化身」ことドクター・キリコか。