読書感想文「絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている」左巻 健男 (著)

 何を隠そう私は、元ケミストである。なので,化学については一言ある。
 化学の作用や効能を発揮させること自体は目に見えない。なので,現象を理解・説明するためのプロセスは頭の中で進む。試験官やフラスコの中で色が変わったー!と喜んでみても,それは機械や力学のように全てが目に見えるわけでもなく,電子基盤の回路やプログラミングのコードが並ぶ様でもなく,目に見えるのはあくまで結果でしかない。なので,こういう風に説明するともっとも合点がいく,というのが目に見えない化学の本質である。
 なので魔法にもっとも近い位置にいたのが化学である。バケガクとはよく言ったものだ。
 そうした化学が世界を変えてきた点で,世界史を説明し化学史におけるスーパースターを紹介したのが本書である。燃焼という化学作用である火を使うようになった人類の歴史そのものが化学の歴史である。金属精錬,陶器・磁気,醸造・蒸留,抗生物質,化学合成,原子力
 文系だし化学よくわかんねーなー,というあなたもご一読を。


読書感想文「「ロンリ」の授業:あの人の話はなぜ、わかりやすいんだろう?」 NHK『ロンリのちから』制作班 (著), 野矢 茂樹 (監修)

 論理や理屈で日々,納得や説得が交わされる現在である。
 では,一見ごもっともで納得や説得されてしまいがちな,そのもっともらしさに乗ってしまって大丈夫なのか。ほんのりと気分やムードで乗っかってしまっていいのか。
 その言説の事実・推測・意見は何か。ちゃんと切り分けよう。ウソや妄想・飛躍からデタラメが言われていないか。そもそも事実・推測・意見がグチャグチャに混ぜ込んでいないか。検証は一つ一つ行うのだ。順番に問うのだ。相手にも自分にも。
 論法や表現,因果関係,態度など,論理を交わす場面での技法や手段がいくつも紹介される。だが,これらを含めて騙されてはいけない,ということだ。優れたテクニシャンよりも,素朴な正直者が求められのだ。
 いつか分かり合えるのか。相手の立場や言いたいことを尊重することはできるだろう。しかし,同調する必要もないければ同意したり,説得される必要もない。その場で反論できなきゃ,意見を保留して逃げたっていいんだ。
 この夏,冷静にモノゴトを見,考えるために手にとってもらいたい一冊だ。


読書感想文「「日本型格差社会」からの脱却」 岩田 規久男 (著)

 デフレは悪である。
 では,なぜ90年代以降,続いているのか。デフレ脱却を図ろうとしても,その政策の本意とすることをよく理解しないまま,好き勝手に気分でものを言い出す連中があまりにも多いためである。さらに,緊縮策が予算編成権能を振りかざす上で有効なため,よりエラソーに振り舞える権力発生装置なためである。
 なので,岩田先生は怒っている。「自称リベラル派」に,である。ゼーンゼン,リベラルじゃねーじゃん!嘘ばっかついて,消費税上げておいて,失業者を増やして,格差を拡大してんじゃん!とお怒りなのである。
 さらに,労働生産性などという正体不明な数字を弄ぶアトキンソンフルボッコである。生齧りで分かったふうなことを言っていいわけじゃない。側用人に置く側も目利きは大切である。
 金融,雇用,再配分(財政),社会保障など,ホンモノの知見を持った専門家にキッチリと仕事をしてもらうことがいかに大事か。気分や思いつきでアレコレ言い出す素人がいかに有害であるか。
 学問として成立し当たり前になっている金融経済政策を学ぶこと,そうした学問や知を蔑ろにして国力を毀損した時代であると,同時代人として反省も述べておきたい。


読書感想文「料理と利他」土井善晴 (著), 中島岳志 (著)

 食材を食事に加工するプロセスである料理とは何か。
 清潔,安全であり,味であり、見た目であり、量であり、栄養であり、食べやすさである。本来、腹が空いて食うものである。なので、カロリーメイトと牛乳と果物があれば生きていける。お腹を壊すこともない。
 だが,三度三度の食事をちゃんと摂ることを意識しだすと大変だ。ちゃんととは何か?の壁にぶつかるからだ。途端にみんなが悩みだす。美味しくなくちゃ、キレイじゃなきゃ、いろいろなきゃ、…etc。そして料理が苦しくなる。
 そんな皆んなに土井は「ええ加減でええんです」と言ってくれるのだ。泣いてすがりつきたくもなるだろう。「ちゃんとする」ことの物差しを自分に当てはめ、「できていない」と自分へ評価を下す。
 カロリーメイトと牛乳と果物でも、手を洗い、気の利いた皿に盛り、趣きのある器に注ぐことでちゃんとした感は出る。料理なんて加工である。加工プロセスや調達という作る作業が負担で辛いならば、食べる作業に入るときに生活の折り目をつける。そういう「ちゃんとする」ハウツーを導入し、「作る」自分から「食べる」自分たちへ気を使ってるふりをするだけでもいいじゃない。それも利他じゃない。そんな対話である。


読書感想文「黒田官兵衛―知と情の軍師」童門 冬二 (著)

 官兵衛は軍師であった。だが,軍師であり続けたわけではない。そして,秀吉にとって軍師として重用はされたが,決して一切を委ねられたわけではない。
 配下の者ではあったが,それはスタッフとして立場であって,ラインを統べる立場ではなかったのだ,と童門冬二は言う。官兵衛はライン長を志向した。武将としての一国一城の主だ。黒田家臣団も永続させなければならない。
 官兵衛のエピソードの多さと栄達と評判が,3英傑に対して「軍師・官兵衛」と呼ばせた。そもそも,知略・軍略において秀吉が官兵衛を上回っていたのは間違いなく,果たして軍師というポジションを秀吉が必要としていたかは怪しい。それは後の時代の者が孔明に倣い呼んだに過ぎないのだろう。
 軍師・参謀とは何か,その答えはおそらく無い。「誠実,堅実,合理的で注意深く,根はまじめ,私利私欲なく,知性についても見識を持ち努力していた」という人柄がただただ,運を呼び寄せ地位を築いたと見るべきなのだろう。


読書感想文「コロナ対策禍の国と自治体 ――災害行政の迷走と閉塞」金井 利之 (著)

 災禍に向かう政府は,中央であれ地方であれ「失敗」する。なぜか。金井は言う。「災害とは,行政に対する需要を増やし,行政による供給を減らす。基本的に災害対応を行う行政は,失敗が運命づけられている」。
 シニカルな金井節か,とも受け取られようが,「COVID-19対策は,結局,保健福祉介護当局,保健所,介護施設・介護従事者,病院,医療従事者など,実務家が粛々と行うしかない」。「現場では無力な為政者や非現場型専門家は,実務の基盤を整備できるだけである」。ここに金井が言うコロナ禍とコロナ対策禍の本質がある。現場がどれほどコロナ禍に立ち向かっていたところで,実務の基盤を整備するはずの為政者や非現場型専門家によるコロナ対策が不十分だったり見当違いだったりすれば,それは「コロナ対策」による禍,すなわちコロナ対策禍となる。
 短期集中・人命救助救援型の災害緊急対応や復旧対策が,果たして大規模蔓延の感染症対策に当てはめることができるのか。同時代に,これほど世の中を論評してみせた金井の冷静な視点は,もっと知られていい。



読書感想文「女たちのポリティクス 台頭する世界の女性政治家たち」 ブレイディ みかこ (著)

 これを読み通すのは,相当の政治マニアではないか。労働組合の専従職員なら読むか,政経学部でも、院生はともかく学部生なら面白がって読むのか。政党機関紙の配達員なら嬉々として読むのか。マニアックである。ゆえに読むには気合と体力が必要だ,と言っておこう。
 読者層は,新聞の国際面もちゃんと目を通す人である。衣食住そして移動,通信,娯楽といった生活の全てにおいて,原料や素材,加工,流通,そのあらゆる段階においてグローバル化している中,新聞の国際面は読まれて当然である。報道機関としては,そんな意義深いニュースを「伝える」ために,「受け取ってもらう」ことを意識し過ぎて,単純化・エンタメ化してしまう。そんな努力もむなしく消費されてしまうのが国際ニュースの性である。なので国際ニュースは,意識高い系すら成立しない。マニアの世界である。
 ブレイディみかこは,人を描く。右左から上下の対立の時代に,長く「改革」として称して掲げられたのは,馬鹿げた財政均衡主義であり,その正体とはただの新自由主義に過ぎなかった。その衣を脱ぎ捨てさせることを意識しているブレイディみかこが,こうして世界の人たちと政治家(パワー)のシーンを描き出している。そんな世界の今ぐらいは,この本でわかっておいていいだろう。