読書感想文「子どもが心配 人として大事な三つの力」養老 孟司 (著)

 いま,子どもが難しい。
 いや,子どもは子どもなので放っておいたって子どもなのだが,子どもの親でいること,子どものいる家庭,子どものいる社会を築いていくのが難しいのだ。まして,学校はその存在からしてずっと難しいままだ。
 なぜか。子どもと向き合っていないからだ。ただただ単純に,子どもが発する言葉に耳を傾ければイイだけなのに,それができない。親が会社員であることに,経営者であることに,ビジネスパーソンであることに現を抜かして,そこで「評価」されることに汲々としてしまい,数字や状態,結果としての子どもにしか興味がない。まして,世間の大人たちも教師もよその子どもどころか,自分たちに関わる子どもにどれほど興味を向けているかはかなり怪しい。人間として,個としての人格を子どもに認めているのか,世の親,家族,社会,そして学校が問われている。
 自由学園・高橋学園長が言う「子どもは人材ではない,人間である」。社会や国家のために人材があるんじゃない。一人一人の人間によって社会や国家があるんだ。


読書感想文「我が友、スミス」石田 夏穂 (著)

 筋肉実況中継・ジェンダー内面葛藤こじらせ小説である。
 目指した場所が自由をもたらしてくれると意気込んだはずなのに,さらに一歩踏み込んでしまったそこは「クラシック」な価値観に支配されていた。でも,目標期限を決め,そこまでは頑張ることにしたのだ。期待に応えるべく。
 筋肉は裏切らない。だが,筋肉を見せるとき,筋肉そのものとしてだけ見られるわけじゃない。筋肉の付いた男,筋肉の付いた女となる。期待されるのは,男としての筋肉であり,女としての筋肉だ。まして,コンテストとして順位がつくとき,審査対象として消費されるわけだ。
 世のオジさん,オバさんたちは知っている。動機から外れちゃいけないんだ。自由を目指したんじゃなかったのかい。周りに流されず,自分のやりたいことに忠実になって成果を得たかったんじゃないのかい。苦しくなるだけなんだよ,憧れや雰囲気に身を任せちゃうと,気づけば全然違うところへ着いちゃうんだよ。
 社会って,世間って,世の中って,面倒くさい!果たしてそうか。つい,仲間内の評価やウケが嬉しくて,認知や承認されることが楽しくて,誘惑に絡め取られたのは自分じゃないか。生きづらさ,息苦しさはあるよね。だけど,自分に都合のいいように流されて生きるオジさんオバさんたちは,生きやすかったりするんだよ。どうする?


読書感想文「名著の話 僕とカフカのひきこもり」伊集院 光 (著)

 本を読むと,その本の話しを誰かとしたくなる。あまり余って読書会なんてものをやりだす。
 あのテレビ番組「100分de名著」のアフタートークである。伊集院光が,どうしても勢いづいて,案内役の3人と語り出してしまったのだ。テレビ番組では,まっさらな人である伊集院が疑問や質問を繰り出し,その本の意義や役割,その本が問いかけようとしていることに,徐々に引き込まれていく様が番組の見所になっている。
 この本は違う。伊集院は読んだ後の人だ。一度読んだことで持ち得た視点,印象的な箇所,自分自身に引き寄せて湧いて来た意見,それらを案内役にぶつけて行く。なので,この本はブックガイドではない。一つの本のガイド役がいて,彼がその本の魅力を語るとき,そのことが未読者をこれほど豊かに紹介された本について語り出させるのだ,と証明してみせたということだ。ついには,その語りをまた,本にしてしまったのだ。本について語ることをさらに語ることを書いてしまったわけだ。
 本好きの沼にずぶずぶとハマるとはこういうことだ。


読書感想文「「法の支配」とは何か――行政法入門 」大浜 啓吉 (著)

 源流に遡って考えることの大事さを,あらためて知る好著である。
 どっかで聞き齧ったような生半端な知識を,さもさもわかったふうに使ってしまうことの帰結が,いまの世の中の始末じゃなかろうか。そんな,いきりたった半可通が威勢のいいことを言い,それもヨシとする物分かりの良過ぎの風潮がダメにした物事が多過ぎやしないかね,とも思う。
 本書が著すのは,行政法とは何か。法治国家とは何か。そして,法治国家と「法の支配」とは何が違い,なぜ,それは生まれてきたのか。それから「法の支配」と行政法の関係であり,新自由主義による「国民内閣制」論への批判が綴られる。
 雑誌連載をもとにしてるので言葉は平易だが,情報量が多く,使われる単語も決して易しくはない。だが,何度でも手に取り,蛍光ペンを引き,それでもまた読むことを繰り返し,血肉とすべく理解につなげたくなるし,私はそうするだろう。
 法律や公的な仕事に従事する方はもちろん,マスコミの方などにも実は必要とされるベーシックな知識だと思うよ。


読書感想文「ぜんぶ、すてれば」中野 善壽 (著)

 生ける伝説・中野善壽の初の著書。
 ゆるりと竜が空を駆けるように生きる中野の言葉に,はぁーと感嘆の吐息がもれてしまう読者が多いだろうことは,容易に想像がつく。
 中野の価値と意味とは,個としての存在である。学閥,閨閥,出身地,遺産など自分をつくっていると思っているものを一々ありがたがって,それに寄り掛かって暮らしている者へ,そんなことより,あなたはどうしたいの?あなたはどう思うの?あなたとは?を問う。そのことに耐えられない者が多いはずだ。みんな自分に自信がないのだ。だから,執着するのだ。教わって来たことに。これまでやって来たことに。身につけたことに。
 努力はするが,成るようにしかならない。力んだって仕方がない。足掻いたって始まらない。新しいことに,未来に賭ける。ただ,自ら動く前に観察する。これと思えるものに当たったらシメたもの。そこはじっくり。ただし,自分のスタイルはドンドン変える。
 手放すからこそ,新しいものが入ってくる。恐るな。前を向け。新しい方,興味の向く方,そっちが前だ。


読書感想文「新人弁護士カエデ、行政法に挑む」大島 義則 (著)

 ストーリー仕立ての紛争処理の実務をテーマとした行政法理解本である。
 行政法を学ぶとは数多(あまた)ある個別行政法を網羅することではなく,行政作用法や行政救済法を学ぶことを意味するわけで,行政手続法,行政不服審査法行政事件訴訟法の3法を理解し,これらをツールとして使えるようになるということだ。
 では,この本,主人公が新人弁護士のとおり,法曹家を目指すかどうか逡巡して,その入り口に立つような者が読者対象なのだろうか。実はそうではない,と思いたい。役所がおカミとして楯突いちゃいけない存在などと古臭い認識ではなく,市民のための行政行為発出セクターとして機能してもらうために,市民の側に行政紛争に至らなくとも,事前行政手続や予防,ルールメイキングなど,みんなにとって必要なことや当たり前なことを,役人任せにしないよう知識や知恵が必要なのだ。
 記述上,必要な法律用語があるせいで,文章はどうしても硬く漢字が多くなる。だが,この分野はブルー・オーシャンであることを示した1冊という意義は大きい。そもそも,法律が市民にとってわかりづらいのであれば,それはその法律が悪いのだ。道具は磨く必要がある。
 まずはこの本を始めに,派生する次の企画とその書き手に期待しよう。


読書感想文「変異する資本主義」中野剛志(著)

 お花畑を闊歩する幼児の天真爛漫さのような理想状態を描き,そこから現実へアプローチする理念的な物言いによって,現実の事象とその対応策へ反論する「リベラリズム」及び「リベラリスト」から本書への感想を,ぜひとも聞きたいものだ。
 アメリカのリベラリズムは失敗し,新自由主義は修正が行われている。いま,アメリカ政治の中心は,リアリズムであり,積極財政である。それは,グローバリゼーションから経済ナショナリズムへの転換でもある。すぐに目を覚ますべきだ。
 腹を据えた安全保障を目指す経済政策が必要なのだ。そのために,積極財政を取らせ,経済へ介入させるための「大きな政府」を実現させるに足る信用・信任のある政府に,自由なだけの貿易は本当に正しいのか?と言わせなければならない。
 古臭い知識を振り回す連中には,勉強のやり直しか退場を勧めたい。デフレに浸っている間に,世界は新たなコーナーを曲がったのだ。そのことをこんなにもコンパクトにまとめてくださったのだ。著者には感謝したい。未読者よ,急ぎポチるのだ。
 いいか,これはロシアによるウクライナ侵攻の前の著作なのだぞ。