「好き」を仕事にするのか,趣味にするのか。ってことでもあるよね。


 ブログ界隈で話題の発端になった梅田望夫さんのエントリーにこうある。

「好きなこと」と「飯が食えそうなこと」の接点を探し続けろ。そのことに時間を使え。

直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ

 これで,思い出す話しが敬愛する林勝太郎さんのエッセイ。

 ニックの愉しげなイギリス文学談義を聞いていて,私は思わず,「ニック,何故きみは好きな道を選ばないで銀行マンになるの」と聞いた。
「好きだからこそ職業にはしたくない。文学は僕にとって一生の楽しみさ。職業は生活を支えるためのもので自分の楽しみは誰にも渡したくない,それだけのことさ」
 彼はそう,さらりと言ってのけた。
「なるほど,そういう考え方もできるな」とは言ったものの,果たして私自身は,それほどはっきり割り切ることができるか自信はなかった。私の前に立っている溌剌とした青春真っ盛りのイギリスの若者がまぶしかった。
 人生にとって「もし」ということは許されないかもしれない。私は好きなファッションを職業にしてしまった。好きな道だからどんな苦労も辛くないと,今までは思っていた。だがニックのように,好きなものは職業にせず,人生の愉しみに残しておくのも悪くない。「もし」もう一度はじめから人生をやり直すことができるなら,それも愉しい生き方だろうと思う。だが,ファッションに替わる職業がどうしても頭に浮かんでこないのだ。


「英国の流儀」 林勝太郎 p.218

 ニックとはオックスフォードのウォディン・カレッジの2年生。典型的な中流家庭に育ち,父親はバーミンガム市内の銀行勤め,彼も卒業すると父親と同じ銀行マンの進むらしい,とのこと。

 人はたいてい,それぞれに好きなことが2つ3つあるもので,その好きな度合いや何からの偶然やしがらみで,好きなことが仕事になったり,趣味になったり,趣味を通じての仕事になったりするのだろう。どれも正しい生き方だ。ただ,できるのであれば,趣味の「好き」であっても,それを他者との共感のため,その「好き」の世界のコミュニティにおいて栄達し,「好き」を通じて社会貢献するのが,より望ましい「好き」とのつきあい方だと思う。


 ただ,吉本隆明は,こう言う。

 いつも言うことなんですが,結局,靴屋さんでも作家でも同じで,10年やれば誰でも一丁前になるんです。だから,10年やればいいんですよ。それだけでいい。
 他に特別やらなきゃならないことなんか,何もないからね。10年間やればとにかく一丁前だって,もうこれは保証してもいい。100%モノになるって,言い切ります。
 ただし,10年やらなかったら,まあ,どんな天才的な人でもダメだって思ったほうがいいってふうにも言えるわけです。9年8カ月じゃダメだって(笑)。
 それから毎日やるのが大事なんですね。

悪人正機」 吉本隆明糸井重里

 「好き」は10年続ける動力になる。仕事でも趣味でもモノになる,ということなのだろう。お稽古の世界の名取りや家元って,10年システムだよな,と思う。


悪人正機 (新潮文庫)

悪人正機 (新潮文庫)