ちびるほど怖い


 教師がいた。今は知らん。
 Tシロ先生は,小学校ながら,なぜか音楽専属の先生で放課後は,吹奏楽の指導もしていた。音楽の時間は,鉄の扉の音楽室,もちろん,夜になると,バッハやシューベルトが笑い出すという肖像画がかかり,扉が閉まるときは,ギーーーーーーーーッ!!と音をあげるお約束の部屋だった。
 音楽の時間は,シリアスな空気だった。Tシロ先生は,燃えていた。小学生には威圧に見えた。支配者である。洋太鼓のスティックや指揮棒が彼の武器だった。失敗をすると叩かれた。もちろん暴力ではないが,恐怖のなかでやられるのでコツーンがとんでもなく痛い。泣きそうになる。Tシロ先生は,怖かった。今から振り返って,いい思い出だなぁなどとは思わない。
 Fジサキ先生は,担任を持たないジーサンな先生で,担任が風邪などで休むとクラスの「朝の会」に,Fジサキ先生が登場。子どもたちに全く人気のなかったFジサキ先生の登場に,「えーっ,Fジサキかよ」と声も出たし,声に出さない利口な子は顔に出した。Fジサキ先生は,わけもわからず怒った。第一,声が聞き取りづらいのだ。何を言ってるのか,よくわからない。授業で関係ないことも言ってたことも覚えている。理不尽に怖い,のがFジサキ先生だった。
 クラスの担任が長く休んでいた時期があった。代用のFジサキ先生により,突然,国語の授業が日本国憲法前文の暗記になった。なぜだ?と小学生の僕らは思うはずもなく,「ニッポンコクミンハセートーニセンキョサレタコッカイヲツウジテコウドウシ,ワレラトワレラノシソンノタメニショコクミントノキョウワト…」と黙々と覚えさせられた。全体を4分割し,最初から順に覚え,先生の前で暗唱し,次に進むことを繰り返していた。まったく,わけがわからないが怖いから仕方なかった。
 二人とも,笑わなかった。そんなもんか。


 四十代後半や五十代半ばに見えた。昭和五十年代半ばの話しだから,彼らは終戦時小学生過ぎで,戦争そのものを子どもの目線でリアルに知っていた世代なのだな,と思う。戦争とは「この間のこと」として思い出せる時間が経過した日常を教師として過ごしていたのだ。
 二人には直接関係無いのかもしれない,いや,あるのかもしれない。それはわからない。


 彼らのように怖い教師が教室に君臨していた時代があった。
 ちびるほど怖く。