「地方政府」ねぇ。


 表題は,「地方政府」(って言っても)ねぇ。の略。
 今年4月に,内閣府に設置された地方分権改革推進委員会が,5月30日に「地方分権改革推進にあたっての基本的な考え方委員会」を取りまとめた。


これについては,発表直後に,ずいぶんと報道された。国の役割を定義し「それ以外は地方がやる」とするように国の仕事にむしろ枠をはめるように発想や作業の転換を図らないと,目立つ前進は見込めないと思うのだが,今回の目玉は「地方政府」の言葉を使ったことにあるのだろう。
 この資料のなかでの「地方政府」は,

序文
いまこそ、これまでの成果によって築かれた「ベースキャンプ」を発ち、中央政府と対等・協力の関係にある地方政府の確立を目指して、つぎなる分権改革へと大胆な歩みを刻むべき時機である。これは、自治行政権のみならず自治財政権、自治立法権を有する完全自治体を目指す取組みである。


地方分権改革の目指すべき方向性
(自己決定・自己責任、受益と負担の明確化により地方を主役に)
地方が主役の国づくりを実現するには、自治行政権、自治財政権、自治立法権を十分に具備した地方政府を確立する必要がある。


とある。
 やや,拗ね者として見ると,へーっ,何か,自治行政権,自治財政権,自治立法権が無ければ,不完全な自治体なのか,また,逆にこれら3つの権利があるだけで完全な自治体になれるのか,と思う。この点については,本稿の主題ではないので,これ以上触れない。ただ,ここでいう地方政府の確立とは,完全自治体を目指す取組みなのであるとすると,完全自治体とは,確立された地方政府を指すということなのだろう。


 話しがわからない。いつから,自治体が完全になると地方政府となることになったのか。2007年版「imidas」から「地方政府」が出てくる部分*1をひく。

地方公共団体
最近は,単一主権の民主国においては,全国を対象とした統治活動の制度主体を中央政府,一定の地域の統治活動の制度主体を地方政府として,自治体を地方政府(local government)と呼び,両者の関係を政府間関係(intergovernmental relations)として扱うようになった。

地方自治
日本の場合,単一国家における地方自治なので,国法の制約を受けるが,中央政府とは別の独立した地方政府として自治体が自主的に運営できる権限を持つことと,住民参加を基本にした自治の実践が重要な要件とされている。


ここでも,「中央地方政府としての自治体」と使われる。違うのではないか。「自治体」の対比概念とはあくまで「国」ではないか。つまり,


国  −統治機関:中央政府−運営主体:国民−行政府:省庁
自治体−統治機関:地方政府−運営主体:市民−行政府:役所・役場


のように,あくまで自治体において市民に信託された統治機関として地方政府があるのであって,地方政府以外にも,自治体内においては,市民,企業,団体などの公益的な活動の担い手がいる。すると,自治体=地方政府というのは,旧来の自治体=自治体行政=役所の図式と変わらなくなってしまうではないか。
 確かに,「地方政府」という言葉は新鮮だし,何か新しい語感をたっぷりと含んで希望という滋養まで備えているようではある。しかしながら,これまでの分権改革を経て,「もはや公を官が独占する時代は終わった」と繰り返し,学んできた我々にとって,「完全な自治体を目指して地方政府へゴー!」などの妙な理屈にほいほいとは乗るわけにはいかない。まず,現行の議論において,自治体と自治体政府を区別して議論を進められたい。さらに進める際には,少なくとも,福島大学 今井照教授が著書「行政組織と職員の将来像」で言う

自治体政府=自治体行政(=自治体職員機構+any other)+自治体政治


は,押さえておくべきだろう。
 冒頭のぼやきは,こんな言葉の話しを考えていたら口から出た「地方政府,ねぇ」である。




*1:imidas 2007 の「地方自治」執筆者は,辻山幸宣(地方自治総合研究所研究理事),沢井勝(奈良女子大学名誉教授)の二人だが,上記欄をどちらかが書いたかは不明