レジで挨拶をして日本を変えよう


 大げさなタイトルだが,日本の光景を変えようの意味だ。
 ずっと気になっていた。コンビニやスーパーのレジで,機械的に応対される。いや,精一杯,ていねいな対応だ。初対面でかつ大量の人々をさばくのだ,あれ以上,何を期待するのだ。十分に親切だ。
 「機械的」と書いたが,よく「マニュアル的」とも言われる。まぁ,いい。マニュアル的だ。とっさの事態には,とんちんかんな対応もされることもあるが,8割以上は,マニュアル的な対応で大丈夫なのだ。
 私が指摘したいのは,この点ではない。マニュアル的にであっても,機械的にであっても,挨拶をされた側の僕らは一体,どうしているのか,ということだ。

  • 店員「いらっしゃいませ」
  • 買物客「…」(絶対,視線あわさず)
  • 店員(バーコード処理終了)「全部,1,810円になります」
  • 買物客「…」(支払用トレーに直接,もしくは店員の手に絶対手を触れずお金を渡す)
  • 店員「2,010円をお預かりします」
  • 買物客「…」
  • 店員「200円のお釣りをお返しします」
  • 買物客「…」(ちょっとでも皮膚が触れるとビクッとする)
  • 店員「ありがとうございました」
  • 買物客「…」(絶対,視線あわさず)


なぜ,ここまで僕らはシカトするのか。小売業への敵意むき出しの悪態とすら思える。端から見ると気持ち悪がられるかもしれないが,積極的に声を掛け合ってみては,どうなのか。たとえば,

  • 買物客「こちらの会計をお願いします」
  • 店員「いらっしゃいませ」
  • 買物客「こんにちは」(絶対,眼を見る。軽く会釈)
  • 店員(バーコード処理終了)「全部,1,810円になります」
  • 買物客「支払は2,010円でお願いします」(また,視線を合わせ,軽く笑み)
  • 店員「2,010円をお預かりします」
  • 買物客「…」(wktk
  • 店員「200円のお釣りをお返しします」
  • 買物客「確かに,200円受け取りました」
  • 店員「ありがとうございました」
  • 買物客「ありがとう」(絶対,眼を見る。軽く会釈)


小額の買物にしては互いにていねいな言葉を交わし過ぎのようにも思えてしまうのが,今の日本社会の薄気味悪さではないか。この程度の会話があたり前に交わされるようになるとき,社会の総会話量は格段に増加するし,それが社会の安心感やつながりを意識することになるのだ,と思う。
 どうだろう,レジの挨拶くらいで日本の光景を変えてみるというのは。