昨晩の第1回と先ほど放送された第2回を見た。農政そのものに私が触れる必要は無いだろう。それより,私は,作り手の生活が成り立たなくなってきた中山間地域の田んぼの映像から,司馬遼太郎を思い出した。
谷こそ古日本人にとってめでたき土地だった。
丘(岡)などはネギか大根,せいぜい雑穀しか植えられない。
江戸期のことばでも,碁の岡目八目とか岡場所(正規でない遊里)という場合の岡は,傍とか第二義的な土地という意味だった。
古日本人にもどって考えると,水稲耕作のことである。やまからの水を受けて水平に張り水するために,田という農業土木的な受け皿が必要なのである。
また田から水を抜くために,排水溝をつくらねばならず,要するに稲作は伝来の時から農業土木がセットになっていた。
田という土木構造を造成するは,谷がもっともいい。ゆるやかな傾斜面に,上から棚のように田を造成して下へくだり,ついには谷底にいたる。
谷の国 この国のかたち(一)p.220〜221 司馬遼太郎
要するに日本は二千年来,谷住まいの国だったということをいいたかっただけである。将来のことは,よくわからない。
谷の国 この国のかたち(一)p.225 司馬遼太郎
その「よくわからなくなった将来」が,いまなのだろう。「あなたがこのコメを選んでくれると森や谷がまもられます。その代わり,値段は1割高いです」と言われて選択する消費者はどのくらいいるのか。農山村にもCSRが求められるようになったと思うが,いかがだろう?
- 作者: 司馬遼太郎
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