学校を建てる国,草原を浸食する国


 梅田望夫さんのブログエントリー「英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差」を読んだ。

英語圏では、大学や図書館や博物館や学者コミュニティなど、知の最高峰に位置する人々や組織が「人類の公共財産たる知を広く誰にも利用可能にすることは善なのだ」という「パブリックな意識」を色濃く持ち、そこにネットの真の可能性を見出しているように思える


英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差


 これまでも梅田さんが著述していた「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」による「次の10年の三大潮流」を産み出す思想といってもいいだろう。「『知』をして次の世をつくるのだ」という使命感といってもいい。実際,私もわずか10日間ばかりのアメリカの大学での経験でさえもそうした思いを感じた。
 この梅田さんのコラムを読んで,司馬遼太郎のモンゴルを支配したロシアと清についての次の文章を思い出した。清朝がモンゴルを侵略し草原を砂漠化し,やがて遊牧民を乞食にした頃の話である。

 たとえば中国における辛亥革命より百年ばかり前に,シベリアにあっては,ロシア帝国が早くもブリヤート人の子供のための学校をたてているのである。一八〇六年にオナに建てられた学校が最初で,一八一六年から一八年にかけては,イナ,トゥンガ,セレンガにもそれぞれ学校がたてられた。やがてキャフタに露蒙学校という質のいい学校もつくられた。
 文明には,
「型」
 がある。きまりきったやり方というもので,ロシアにおける文明では,初等教育の学校を建てるということがその一つだった。


「ロシアについて」 司馬遼太郎 p.230〜231


 そうして,このブリヤートモンゴル人のために建てた学校から東洋学の碩学が出る。ドルジ・バンザロフという人でシャーマニズムの研究の先駆を果たしたという。

 バイカル湖畔でこのような人物が出つつあったとき,清朝領である高原のモンゴルでは清朝の桎梏のもとに同族があえいでいたことを思うと,すくなくとも異民族や異民族文化に対する対応のしかたが,清朝−−といわずわれわれアジア人ぜんたい−−が,帝政ロシアにくらべ比較にならぬほど劣っていたということがいえる。


「ロシアについて」 司馬遼太郎 p.232


 司馬遼の言うような対異民族観や統治能力だけではないように思う。「知」そのものへの信頼と「知」を広くいきわたらせて共有することの利益を知っているかどうかの違いではないか。まさに梅田さんが言う「人類の公共財産たる知を広く誰にも利用可能にすることは善なのだ」という「パブリックな意識」の差として見ることが出来よう。労働力の欠乏に常に悩むロシアでは,「知」は絶えず共有し受け継ぐことが意識のしたにあったのだろうし,清朝では過剰な労働力として人間に関心を示さなかったということなのだろう。
 なので,英語圏の「独走」ばかりではなく,学校を建てる国,草原を浸食する国の問題であり,それが21世紀の僕らにもふりかかっている問題なのだと思う。



ロシアについて―北方の原形 (文春文庫)

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