道路は特定財源や目的税ではなく,普通税で賄われるべきだ


 とりやすいところから捕る,とれるところから捕るというのであれば,それはとれる現状を維持し,あるべき理想を語らないということだ。当然,変革などされない。とれる現状が維持される。
 自家用乗用自動車は,それ自体,高額な商品であり,かつ,その維持に決して安いとは言えない費用負担が必要となる。それを前提として受入れた上で購入される。そう,このクルマ消費社会システムへ入会したわけだ。この交通プレミアに参加した以上,メンバーシップ・フィーが捕られる。それが道路特定財源の税や道路を対象とした目的税だ。メンバーサービスとしての道路の建設維持補修のための費用が,メンバーによって賄われるというわけだ。
 だが,そもそも道路とは,自家用乗用自動車や商用自動車の登場とともにあらわれたわけではない。むしろ,人間社会,いや,ケモノ道があるくらいだから,生き物の登場とともに自然発生したものだ。話が散らかるので,人間社会に引き戻す。動力が発明される前から道はあり,道はローマに通じていた。しかし,道路は為政者によって整備されてきた。ときには,道普請を強いたりしながらも。現代の歩行者や自転車運転手は,道路特定財源を負担しない。内燃機関をもたないし,そもそも,靴や自転車は一部を除き自動車とイニシャルコストもランニングコストも比較にならないその小ささ故に賦課して目的税を取る対象とはならない。では,歩行者や自転車運転手は,全交通の中でどれほどの存在なのだろうか。決して,無視してしまえるほどのわずかな量ではない。歩道の面積を考えてみよう。幅員に占める道路の割合を考えてみよう。まして公共交通機関とは,歩行者を中心に考えられたものだ。
 つまり,交通における歩行者や自転車は,自家用乗用車に対して従属する存在でも無ければ,見過ごされていいちっぽけな存在でもない。であればこそ,その交通を確保する歩道を含む道路とは,道路特定財源などという自動車オーナーの負担によってのみ支えられるものであってはならない。われわれの社会の現在が内燃機関を持つ乗用車によって成り立っていることは否定しようがないが,だからといって,歩行者や自転車ユーザーが負担を逃れていいはずがない。いつまでも内燃機関乗用車が現在の地位を保つとは限らない。いや,逆だろう。現在の税制が自動車を中心とする交通機関イノベーションを阻害していると言えるのではないだろうか。クルマは変わるだろう。それがどう変わろうとそれに道路の建設維持補修を依存するのではなく,われわれのモビリティは,われわれ全員が支えるべきだ。
 道路とは公共インフラだ。建築基準法により,全ての宅地は道路とつながっていなくてはならない,とされる。その道路がメンバーシップによって運営される,あたかも「通行料」によるものであってはならない。誰しもが担う普通税によらなくてはならない。道路特定財源の税や道路を対象とした目的税は,普通税とすべし。
 道路とは何か,から考えるべきだ。


 なお,このエントリーは「暫定税率」であるとか,税額の多寡などは,対象にしてはいない。念のため。