孤独と100人の子ども


 縁あって,小学校にたびたび訪れる職場にいる。教員や学校施設職員ではないのだが(教育用品セールスでもないよ),子どもたちを多く見る。この連中と毎日つき合うのは大変だな,と思うが,今日,ちょっとした発見があった。
 5時間目の体育が始まる前,体育館に私がいた。その周りを私とは関係なく子どもたちがはしゃぎ,走り回り,ふざけあっている。私の存在は,サッカーのレフリー以下で,まるでいないも同然だった。もちろん,示し合わせての無視ではないし,廊下などですれ違えば,「コンニチワー」と平べったいイントネーションであいさつしてくる,いい子たちだ。彼らが彼らの世界に没入しているが故に「目に入らない」状態になっているだけだ。
 では,相手にされていない私とはいえば,これが不快ではない。子どもたちが嫌いだから?いや,それほど嫌いじゃないさ。100人を超える子どもたちがつくるカオス。その渦中の私。意思疎通はない。しかし,疎外もない。なんだろうね。不安もない。当然,恐怖もない。でも,一人。ぽつんと一人。でも,この囲まれ感。あっ!これは不思議な感覚だ。とその状態を客観視しつつ,気づいた。なかなか得られる状況ではないことは承知の上だが,孤独に悩む人は,たくさんの子どもたちに全く相手にされずに囲まれてみると,それは実は孤独ではないのだ,と気づくはずだ。そして,その不思議さにも。
 大勢が,子どもを子どもとして解放するということはあるのだろう。そうした人間としてある面の発露を直に感じるとき,人は孤独を忘れるのかもしれない。