靴屋さんの若い男性店員が良かったことで一言


 中学生の息子とスーパーセンター(大型ショッピングモール?って言えばいいのか)へ行ったとき,彼が「靴が…」と言い出す。先週,靴が破れているとを伝えると自分の手落ちを指摘されたような不快な表情をして「知らなかったから」と言う。そのタイミングで突っ込むのは,思春期相手に危険なので放っておいた。今日,彼が靴が欲しいと自分から言ってきたので,いいじゃない成長じゃない,と思う。靴が破れていたことを発見されて指摘された恥ずかしさを乗り越える葛藤とか一応あったのかな,と思ってみる。へへへ,よ!ザ・中学生。
 最初,直営の靴コーナーに行くが,お子チャマ向けとメンズの中間で,好みのイロ・カタチとサイズの折り合いがつかない。小学生のいる家庭とオッサンが相手か。商機逃してるよー,惜しいね。次はテナントで,いくつかのショッピングセンターでみかけるチェーンの靴屋へ。少し種類も多く,洒落たものがあるもののちょうど良さげのサイズはレディースになってしまう。結局ここも断念し,ABCマートへ。さすがに安さとブランドの取扱いのわかりやすさが目につく。中学生の息子はスルスルと自分から店内へ。彼は最初からこの店ねらいだったのかな。若い男性店員が私に声をかけてくる。「小さなサイズをお探しですか」。へー,どんぴしゃ。「えぇ,彼の靴ですけど」と私。彼は「こちらのものだと小さなサイズもありますし値段も手頃です」とナイキのスニーカーを薦める。結局,その靴で2つサイズ違いを履き,靴を買った。
 印象的だったのは,その若い男性店員が柔らかく優しい言い方で,素直さが伝わってきたことだ。いまの20代の一つの美風といってよい。かつて「物怖じしない」とは体育会系のノリとバカさをともなったものだし,そのことが良しとされた。いまもある種のバカさは一部のコンビニなどに残るが,

 最近、気のせいか、親切な店員が多くなったように思える。

 コンビニでもそう。若くて、あまり国語の能力もなさげだなというお兄さんお姉さんがそれなりに誠実に対応している。へぇという感じ。もっとも、そういう若者がこういう仕事しかないのかなとも思う。

 意外なのは、というか、自分だけが意外だったのかもしれないが、銀行の窓口のお姉さんというかおばさんというか、親切、というか、気が利く。というか、以前はよくわけのわからない若い人がいたものだが、まるでそうではない。


気のせいか親切な店員が多い - finalventの日記


と,id:finalvent先生がいう「けなげ」な様子が大半なので,「日本語ちげー,だろ!そこ」と思うことはあっても普段,口には出さない。今回,靴屋の店員さんは,きちんと気遣いができる(彼の上司であれば,たまに気遣いが抜けることにこっちは気付くんだろうけど),商品知識も持っている,感情を抑えた対応ができる,総じて客を不快にさせない。これは,一定程度の教育によってもたらされたものじゃないかな,と思う。考えたことの量,抽象的な概念などを書くこと,話すことの訓練の量から来るんじゃないのだろうか。

コンビニとかで丁寧に仕事をしている若い人を見ていると、ちょっと泣けてきそうになる。なぜこの青年たちに国は投資しないのだろうかと思うが、まあ、言い古されたことではあるな。


経済学畑の人はいろいろ意見があるのだろうけど - finalventの日記


いま,「教育を受けた」若い人たちが活躍する場が極端に冷遇されたままになって,それなりの収入を得ようとするとどぎつい自己表現を常に求める職場か,過酷な収奪な現場になってしまう。そうしたところではなく,小売りの場やサービス業において,決して高収入ではないけれど,伸びやかに仕事をする彼らを見ると,そうした自分にないやわらかさをうらやましいと思うのと同時に,高望みをしない彼らの姿と,活躍できる機会を奪っていやしないかと悔恨が頭を巡る。
 ミニマルで欲の無さげな彼らは21世紀の地球人としてあるべき姿なのかもしれないとも思う一方で,彼らにふさわしい健全な野心というものもあっていいと思うのだ。