大人になったら親というのはちょっと変わった他人でもあるなくらいで付き合ったほうがよいよ。
増田な話 - finalventの日記 2009-01-23
終風先生の何気ないこの1行が,ずいぶんと頭にある。この大人になった以降の親と子について,いくつか思わされることがあった。
最近,職場の掲示板に注目を集めているボスターがある。立ち止まって,話しをしている様子を何度も見かけた。
(略)すごい話がテンコモリでしたよ、「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き(信田さよ子)」(参照)は。
表題を見て、何かピンと来た人、とくに女性は、場合によってはこの本は劇薬級のインパクトがあると思う。
と紹介されている本のタイトルを関連させた催し。どうやらこの著者が来るわけではないのだが,精神科医による講演その他の催し。
ただ,私が見かける光景は,この本で描かれている団塊女性とその娘ではなく,団塊女性が娘としての自分視点で介護が必要な自分たちの親について立ち話をしている様子。はじめはスルーしていたのだけど,何度か同じシーンを見ると「そうなのか?」と思う。まあ,そういうことだ。
金(ストックもフローも)や健康や親戚その他など,「親」というポジションが関わらせてくる様々なことに対して「ちょっと変わった他人でもあるな」という視点を持つというのは大きいと思うのだ。
で,私の場合は,と言えば。これがややこしい。自分の乳幼児の頃の秘密(!)を知ったのだ。とくに内緒にされていたわけではなかったが,私の母親は腎臓を患いその左側を摘出し,今も腹に大きな傷跡がある。その手術,入院をしたのが,私が生後9カ月から1歳までの間のことだったと昨秋,聞いた。
軽いショックと納得があった。
私はなぜか,実家より祖母の家や親戚の叔母の家が馴染み,落ち着いた。もちろん,父親によく怒られたので,おもしろくない思いを少年期にしていたこともあるのだが,実家でくつろいだり,なごんだりすることがどうにも(いまだに)苦手で,むしろ,祖母宅や親戚宅で落ち着く。
それの理由がああ,これか,と。生後1年のいろんな刷り込みが終わる頃,私は家におらず,祖母宅や親戚宅に預けられていたのだ,と聞いた。私のいくつかの欠落にようやく思いあたった。
母親にとって私は,年が若くして生んだ子でなのだが,母に対しては「母親」という感じが薄く,特に親戚の叔母さんといっしょにお風呂に入った小学生の頃は,「お母さん」的な温もりのような何かを感じたし,小中学生の頃,街に出かけた後に必ず,祖母の家に寄りぐだーっとくつろいだ。そんなことも思い出した。
里子に出されいた漱石や乳母に育てられた太宰などと比べることなんてできないのだが,私自身の形成に,とりわけ無意識に働きかけているものはあるのだろうな,と思う。
外を眺めれば雪が降っている。私はどこに行こうか。