神田山陽の講演を聴いてきたよ


 なにげに出かけた図書館のイベントの神田山陽の講演会。すっかり寒くなって出不精マインドが襲う中,整理券を入手。
 講演開始の30分前の開場時刻少し前に入口に向うと,神田山陽本人に出くわす。ダウンジャケットにバックパック。やや疲れ気味の顔にはトレードマークとばかり思っていたメガネもない。こりゃ,気づかないよ,と思っていると,本人は控室に誘導される。こっちは,開場中央席の全部に陣取り,時間つぶしの読書。前から6〜7列目だったから,おいおい,こんなビッグネームなのに,スカスカかよと思う。職員が前から詰めて座れ,と繰り返す。そんなこと言ってたって,後ろに席あるじゃんかよ,と思っていると,館長室にいても暇なんで,と言いながら神田山陽本人,登場。なんと,さっきの出で立ちのままなのだ。
 ありゃありゃ,アドリブからスタートかよ。しゃべる山陽。暑くなってきて脱ぎ出す。テーマは,「新作講談入門」。さて,どうなる。来場者を見渡し,子どもの割合,年寄りの割合を確認。結局,「講談とは,何か」を本人の生い立ちと入門,そして現在を語った。この時点で大勢の立ち見,やっぱりね。
 驚いたのは,彼がなぜ,いま大空町に住むに至ったかということだった。3代目・神田山陽となって食えるようになった際,講談の今日性と彼本人が取組む意味について,真剣に向き合ったのだ。北海道出身の彼にとって,講談そのものが血肉となって表れてこない。江戸っ子であれば違ったのだろうが,彼にはその根っこがない。また,講談とはその生い立ちからして当世の時事問題を論じ伝聞させたのだが,現代における講談では講談の型式で持って伝えるべきものとは何なのか,地に足の着いたテーマが浮かんでこないのだと言う。ならば,出身地に帰り,自分の毎日の暮らしの中から新たな講談を生み出してやろう,そのための実験をしてやろう,と言うのだ。
 現代に生きる講談師として,なんと講談そのものに真剣に向き合っているのだろう。えらいなあ,神田山陽,である。
 ぜひ,機会がありましたら講談を聴きにいきますヨン。