公務員であるということ,自治体職員であるということ。


 森啓先生のブログより。

 自治体職員の本分は「自分の仕事をより良いものにすること」である。「何が問題か」「如何に改めるか」を考えるには自治体理論が必要である。


自治体学 自治体職員の思考力

この部分は,少し解説がいるだろう。自治体職員の仕事とは,そのセクションごとに明らかなミッションがある。また,時代に応じた課題も存在する。そうした課題をミッションを背負って解決を図ろうとするならば,行うべき仕事が明らかになる。それが本分だということだ。

職場では現状維持の上司意向に従い自分の仕事を改めようとはせず、無難に大過なくの保身で日々を過ごすなば、それは「地方公務員」である。「自治体職員」ではない。


自治体学 自治体職員の思考力


「無事,これ名馬」ではあるけどね。問題は「無難に」過ごすために,問題を先送りしてしまう姿勢が問題なのだ。

 公務員は自分で判断しない。何事も「上司に伺って」である。「何とかならないものか」と自分の才覚を働かせることをしない。管理職はその態度を服務秩序として職員に求める。だが、自分は「責任回避」に細心の注意を払っている。市民が直観する「行政不信」はこれである。(少数の例外は職員にも管理職にも存在する)
 問題は「自己を抑制し続ける公務員人生」を選択するか、「自治体職員として生きるか」である。公務員人生を選択する若者には「ステキな恋人との出逢い」はない。妻と子からも尊敬されない。


自治体学 自治体職員の思考力


「ホウ・レン・ソウ」のことではない。ヒエラルキーの問題として,上に上がっていく情報は都合のいい情報,下に向かう情報とは問題を起こさないための「やらないための理屈」に向けた情報であることだ。
 いわば,コームインのポーズをとり続けているとカオナシになっちゃうぞ,と言う話しである。


 恋人や妻子の話しは手に負えないので触れないでおく。