松井秀樹にとって野球とは何か。


 新聞のスポーツ欄には必ず,目を通す。贔屓の球団,ライオンズとアントラーズの結果が気になるからね。もちろん,スポーツドキュメンタリー記事も楽しみで,背景やら,ストーリーを知る楽しみがある。
 先日のスポーツ欄の記事に疑問がわいた。

 「部屋に、野球のものが一つもない。目につく場所にボールやバット、写真もない。全部倉庫に入れちゃった。一つもなくなった。必要がないから」


朝日新聞デジタル:(語る、松井秀喜)野球離れてイクメン中


そんなことがあるだろうか。確かにプロ野球選手を引退した彼にとって,生業にはならないのだろう。だが,今の自分を成立せしめている思い出のカケラを目に入るところに置いておくという気がおきないのだろうか。球界から追われたわけでもなく,嫌悪するようなトラブルが起きたわけでもないはずなのに「全部倉庫」なのだ。
 いったい,松井にとって,野球とは何なのか。

それはイチローが純粋に「自分のために野球をしている」のに対し、松井が「自分以外の誰かのために野球をしている」ということだ。
松井は賞や栄誉や契約のためではなく、バットを振ったのではない。本当に「チームやファンのために」スイングをしていたのだ。だから、あんなによく球が見えていたのだろう。


野球の記録で話したい : 松井秀喜にあってイチローにないもの|野球史


「誰かのためにするもの」としての野球。喜んだもらうための野球。だったら,一線を降りれば,もはや誰のためでもない,そんな野球そのものと「一線を画す」生活に入ってしまうのもうなずける。
 野球がもはや,彼にとってのホームではない中,彼のより所は何だろうか。

 「自宅があるからニューヨークに住んでいるって感じ。こだわりはない。かといって、どこかに移る気もない。何か生活の基盤ができあがっている感じ。色んな人種がいて、ごちゃごちゃしているけれど、きれいだし、いい街。自分も好きだしね」
 マンハッタンのビル群を吹き抜ける、爽やかな風を全身に受けて、穏やかに言う。


朝日新聞デジタル:(語る、松井秀喜)野球離れてイクメン中


ニューヨークという街。いま,彼は「誰かのためでなく」,自分と自分の家族のために,自分の好きな街ニューヨークに住む。


そうした,いまの彼を,応援したいと思う。