読書感想文「母親からの小包はなぜこんなにダサいのか」 原田 ひ香 (著)

 哺乳類の持つ体温が紙片から伝わる小説群だ。
 原田ひ香の描く登場人物たちのリアルさ。そこに人がいるのがわかる。油断すると触れてしまう気さえする。だからこそ,この短編集は距離がテーマなのだ。誰もが個々に時間も距離も離れたコミュニケーションが取れるようになって久しい。電子メールやメッセージが,個人ホームページや個人ブログなどもその例だ。だが,同時性に意味が出るようになった。SNSがバズること,チャットで仕事が進むことなど,リアルタイムであることのニーズは,さらにコロナ禍でWeb会議が爆発的に増やしさえした。文字,声,写真は情報として距離を易々と超えて届く。
 その一方で,物が届くこととは,時間や場所も相変わらず超えられない。今回,原田ひ香はそこを突く。ディテールの細かさ,登場人物が吐くであろう言葉への信頼は揺るがせない。現代社会にあり触れる感情や気分を掬ってみせた。
 この作家がもっともっと知られ,多くの読者を得,この作家について語り出す人が一人でも増えることを願ってやまない。


読書感想文「教育格差」 松岡 亮二 (著)

 「親ガチャ」完全解説本である。
 政治や行政,マスコミなど政策形成に関わる人たちは,教育と子育てに関してこの本を読まずして語ることを当面,禁止しておく。この本で扱うのは「本人には変えることができない『生まれ』ーー帰属的特性である出身階層と出身地域による教育格差」。ね,ドンピシャでしょ。
 「貧困線(所得の中央値の半分)を下回る家庭で育つ子どもはいつの時代にも存在し」,「メディアの報道量や一般的認知度にもかかわらず,『子どもの貧困』は常にあった」。それは「いつの時代にも子どもの貧困による教育格差はある」ことを指す。
 僕らはちゃんと受け止めるべきなのだ。「戦後,他国と同様に日本においても社会的再生産が起きてきた。出身階層による社会的地位ーー身分を一定水準で再生産してきた以上,日本は「生まれ」によって機会と結果に格差のある『緩やかな身分社会』なのである」。そうなのでアル!やるべきは,真っ当に,「一人ひとりの潜在可能性を最大化するための教育環境の整備が先なのだ」。
 目を覆いたくなる現実は,過去も今もある。ただ,その手は世の中を動かすために使おう。つくづく,そう思う。


読書感想文「最新の脳研究でわかった! 自律する子の育て方」工藤勇一 (著), 青砥瑞人 (著)

 全てはマネジメントである。チームを機能させるのも,子どもたちが生き生きと暮らすのも。
 仕事を動かすのはチームワークだ。チームを構成する個々人が活躍して始めて成果になる。そのためには,リーダーたるマネージャーがチームメンバーの様子に常に気を配り,メンバーの成長を願いながら,日常業務を通じてその成長を助けていくのだ。そこで陰日向に,メンバーに声をかけ,問いかけ,気合を入れ,労う。何ともまだるっこしい役割なのがマネージャーだ。だが,組織のとしての目標達成とメンバー個々の成長を確認できる仕事だ。
 子どもたちの成長の場である学校はどうだろう。工藤校長が説く教師に求めるものは,マネージャーの心得とまるで一緒なのだ。どういうことだろう。マネージャーに求められるのは,チームメンバーとキャッチボールを繰り返しながら,自発的に仕事に取り組む姿勢,問題を解決する姿勢を高めることだ。ボールを投げたつもりでも相手は受け取ってもらえているかはわからない。なので,何度も繰り返してボールを投げてみる。もう一球ボールを来るのを待っているかも知れない。受け取ってくれたボールは,こちらへ投げ返す動作に入ってくれただろうか。こちらは常に捕球の体制に入っていなくちゃならない。
 教育現場でも,個々の子どもたちとの当たり前のチームビルディングである。翻って見れば、麹町中の取り組みとは,本来必要とされることをやっただけだ。当たり前のことをやって注目されるとすれば,その他大勢の異様さが浮かび上がってこないか。当然のコミュニケーションやマネジメントが無い教育現場に日本の子どもたちはいるのだ。


読書感想文「語り芸パースペクティブ: かたる・はなす・よむ・うなる」玉川奈々福 (著, 編集)

 編集者・玉川奈々福による,現在に伝わる芸についてのバラエティ・パックである。
 なので,決して一般向けではないし,系譜系統についての定番となる歴史がこれでわかる!というものでもない。玉川奈々福のいるポジションから見える風景をゲストに教えてもらう形をとりながら,我々に示している。
 なので,視座は安定しないし,知識や興味も十分ではない。だが,これが我が国における「語り芸」の現状ではないだろうか。芸人が芸論を著述することや生い立ちや人生を語ることはあっても,ジャンルも多く,メディアの発達,その芸の流行や栄枯盛衰など,あまりにもとっちらかってしまっていて,研究者もメディアの中の人たちもフォローしきれていないのだ。
 だからこそ,まずはとりあえず,編集者・玉川奈々福の網を掛けてみましたよ,という姿勢を評価したい。映画監督・篠田正浩の日本における物語りの宿命の話,和田尚久の落語時空論,いとうせいこうの韻謡論など,引き込まれる話も多かった。
 行商人の売り声や市場での呼び声なども含め,録音できる時代だからこそ研究対象として,やっと成立する時代になった。これも日本語である。もっと研究が広がっていい。


読書感想文「結 妹背山婦女庭訓 波模様」大島 真寿美 (著)

 なんか悲しいなぁ。
 才能は持って生まれてきてしまう。そやけど、その才能に沿って,その者の「業」が乗ったときに始めて,その才能ある者の道がスタートする。なので、そこに「才能はある」んけやど,しかし…,となると悲しい。才能の行き先が無い。才能が漂ってしまう。
 本人には、才能があることの自覚はあっても、才能ある者としての道を歩まんと…。お前のことやぞ、加作!
 言ってしまえば、女の人生、女子の壁や。心のうちは明かさん。でもなぁ,周りには漏れ伝わる。まして,才能の塊や。でも,生かしてやれんのや。あー,焦れったい。何してんのや。周りのオッさんどもは。ぼんやりしてたらアカンのや。
 次の時代に何を残すのか?て言うやろ?あんなんウソや。目の前の眩い光を、いま、モノにしたろ,カタチにしたろ,思わなんだら残らへんのや。だからこそ,その光に周りのモンは賭けないかんのや。今やで。
 オッさんやさかいな。悲しいの嫌ややから,自分への戒め込めて書いとくわ。


読書感想文「ごみ収集とまちづくり 清掃の現場から考える地方自治」藤井 誠一郎 (著)

 まちづくりには,2つの側面がある。一つ目は,文字通り,「まち」に見たことのない新しい何かを「つくる」こと。もう一つは,その「まち」における生命・健康・財産を守るために仕組みや制度,仕事の新しいやり方を「つくる」ことだ。この本のまちづくりとは,後者。ごみの無い衛生的で快適な環境を守るまちづくりだ。
 ごみは嫌われる。そりゃ捨てるためのものだから,わずらわしく,できることなら早くその存在を忘れたい。出してしまう前に手間や面倒を掛けたくないのだ。一般の人は,そう。だが,ごみを集め,適切な処分のルートに乗せるために汗する人たちにとって,正しく,限られた時間に集めきるために,ごみのことを真剣に考えつくし,体を動かす。
 ごみの現場への参与観察である。人間生活が行われるとき,そこには必ず,ごみの発生が伴う。人間は生まれてから死ぬまで,ゴミを生産し続けるのだ。ごみの世界という,まだまだ調査研究が行き届いていないワンダーランドは,あなたも無関係では無い。そして,死んでもなお,財産や思い出ともにゴミも残していくのだから,必読である。


読書感想文「孤独は社会問題 孤独対策先進国イギリスの取り組み」多賀 幹子 (著)

 当世英国孤独対策事情である。何せ世界初の孤独担当相の置いた国なのだ。本が書かれてもおかしくない。ときの首相は,オシャレ番長,テリーザ・メイ社会運動家である議員の気の毒な死亡事件からの世間の動きを受けての産物だったとは言え,社会問題が統治機構に変化をもたらした形となった。
 「孤独だ。寂しい」と感じた時(そう言語化できるか?の問いは横に置いておく),その当事者がそれを一人で解決できるか?これが孤独問題の最大の問いである。ソロ活動をする。シングル・ライフを楽しむ。おひとり様時間を有意義に過ごす。これらは,一人で勝手にできるのだ。
 非孤独を選択した瞬間,それは一人ではできないのだ。この孤独問題の不可逆性こそ問題に正面から向き合うためのスタートラインである。そこに立ちさえすれば,「社会問題」であるからこそ,因習まみれのコミュニティや全て死に別れて失われてしまう血縁ではなく,ソーシャルな問題として,リアルやネットでもつながりを求めることへのサポートが必要なのだ,との理解になるだろう。
 世界は動いている。本邦はどうか。